カムイモシリ
カムイモシリ 第十五回
和田山 明彦 作(釧路管内標茶町在住)
クリスマスの爆弾低気圧の影響が過ぎると、比較的穏やかな日々が続いた。西高東低の気圧配置は、日本海側には寒気の南下で雪国の厳しさをもたらすが、塘路が位置する道東の太平洋岸は、乾燥した冷たい空気が太陽の眩しさを案内してくれる。
快晴の風のない穏やかな朝は、放射冷却が、狂気じみた冷気をもたらす。前日の吹雪による雪で描かれた模様に着飾った塘路湖の湖面に張る氷も、厚さが増して、遅れていた名物のワカサギ釣りも、もうすぐに解禁となるだろう。
山の仕事は、正月に向け、区切りを付ける段取りを済ませるだけになりそうだ。今回の吹雪は、カノジョの行動にも影響しただろう。それまで、暖冬のおかげで、山の中ではカムイ達の生活の営みがそこかしこに見うけられたが、今回の爆弾低気圧が本格的な冬の到来を周知させることになる。
年末年始は、プログラミングに明け暮れた。温かなログハウスの中で一日中パソコンに向かった。おせちにと、安住や庄司からご馳走が届いていたので、食事に不安はない。
冬は山仕事が忙しいと矢野からの依頼は絞ってもらっていたが、是非にという仕事は、相変わらず減りはしない。
正月三日、敏子が奈美を伴いやって来た。大きな重箱を持参してきた。来訪を合図に仕事はひと段落だ。
「明けましておめでとうございます」
敏子と奈美が挨拶してきた。赤嶺は、正月気分を感じることなくモニターに向かっていたので、声を掛けられて初めて正月の世界に引き込まれた。
「あっ、そうだった。明けましておめでとう。年越しは、プログラミングに明け暮れていたので、年が明けたことを意識していなかった」
敏子が言った。
「そう言えば、松の内は溜まったプログラムを片付けるのが習慣と言ってたわね。今年は、そうはいかないわよ。邪魔しに来てやった」
赤嶺は、パソコンの電源を落とし、リビングに憩いの場を求めることにした。奈美が気にして言ってきた。
「お邪魔でなかったかしら? 仕事の段取りが大変にならないの?」
高校生にしては随分気が利く言葉だ。
「心配ないよ。年末は、天気が荒れて、その分、こっちの仕事がはかどったから、あと二~三日で終わらせることができる」
奈美のためにテレビをつけて、団欒の場を繕った。普通、年始の挨拶や年賀状の整理などが行事となる所だが、赤嶺は、塘路に根を張り出すと、すべての世俗から解放されたく、ここ十年ほどは遠慮していた。それまでの付き合いのある人には、住所変更の知らせと共にその旨を伝えていたし、こちらで知り合った方々には、赤嶺の正月の過ごし方を承知してもらっていた。安住も、庄司も、赤嶺のプログラミング作業の邪魔になると、訪問も遠慮してくれていた。しかし、今年からは環境が変化した。赤嶺は久しぶりに楽しい正月を味わうことになった。敏子が言った。
「それでは、ずっとパソコンの仕事をしていたのですか? 何か寂しいですね。早く来ればよかった」
「習慣になっていたので、気にならないよ。正月は、山を気にすることも無いし、なにより、静かな環境で仕事に打ち込むことができる。と言っても、気晴らしに、車を走らせることもあるよ。今日も、そろそろ集中力の限界が近付いてきたと感じていたところで・・・。敏子さん達が来てくれたおかげで大助かりだよ。ところで、良いお正月を迎えられたかい?」
奈美が答えた。
「おばーちゃんのところに行ってきたの。年越しは帯広です」
敏子が続けた。
「帯広に兄がいまして、母親が一緒に住んでいます。元気なんですが、この子に手が掛からなくなって、兄の勧めで帯広に住むようになりました。ですから、帯広が里帰りの場所になったの」
敏子は、元々、釧路で生まれ育った人物だ。今住む家も、実家と言っていた。両親と共に、奈美を育てながらその家で生活していた。父親が亡くなって五~六年になるはずだ。赤嶺も葬儀に参列した覚えがある。その後、家をリホームしてということは聞いていたが、母親が帯広に移ったことを聞いていなかった。
「それでは、寂しくなったね。お母さんは、旦那さんと暮らした家を離れて寂しさも・・・」
透かさず敏子が言った。
「なんもです。母は、まだ現役のドライバーですよ。天候は帯広の方が良いって、庭いじりに有頂天。私も、住み慣れた釧路を離れて心配だったけど、心配したのがバカみたい」
「それでは、こちらの方が寂しくなったということか?」
ここでも、奈美が答えた。テレビに夢中になっていると思ったが・・・。
「一週間置きにやって来るの。こっちの用事も無視して・・・。信じられない」
敏子が続けた。
「家をリホームしてすぐに出て行ったから、不思議と寂しさは感じなかったようね?」奈美に同意を求めた。「でも、おばあちゃん子の奈美は、最初大変だったのよ」
奈美は知らんぷりだ。和やかな時間が過ぎて行く。こんな正月は初めてだった。敏子は、お屠蘇も用意していた。赤嶺はお屠蘇ぐらいと口を付けた。
突然、庄司がやって来た。
「おめでとう! 車が見えたから、休んでるなと思って来たぞ。ほれっ」
庄司もご馳走を持って来た。
「おぉっ、酒があるんでないかい?」庄司は敏子と落ち着いた席を一緒にするのは初めてだ。もちろん、奈美とは初対面だった。「こちらが娘さんかい? 別嬪さんだね。隣の庄司だ。よろしく」
敏子は、庄司の人柄を承知している。奈美がすぐに馴染むことも容易に予想される。何も心配しなかった。案の定、庄司は、敏子と赤嶺を差し置いて、奈美と笑い声を交えて会話している。
赤嶺は、庄司がいればその場がすぐに華やぐことに喜びを感じた。考えてみると、正月にこのように和み、賑やかな時を過ごしたのは、ここにログハウスを建てた年の正月以降初めてだった。その年はめぐみ達にログハウスを初めて披露した時だった。
お屠蘇用に敏子が用意してきた酒はあっという間に飲み干してしまった。庄司は車に戻り、焼酎を持って来た。用意が良い。帰りは迎えに来てもらうと一人で飲み始めた。敏子は、これから車を動かさなければならない。奈美は、お屠蘇にとお猪口(ちょこ)に口を付ける程度だ。赤嶺は下戸だ。庄司には気の毒だったが、別に気にも留めてないようだ。考えてみると、赤嶺がウーロン茶などを飲むのとどう違うのだろう? 赤嶺もさほど気にも留めないで、敏子達が笑う声を気持ち良く聞くことにした。
庄司はまだ日が高いうちに帰っていった。従業員がまだ正月休みで不在ということだ。搾乳に正月休みは無い。敏子達も、明るいうちにと帰っていった。一人残された赤嶺は、例年通りの正月に戻ったということだ。
今年の正月だけではない。敏子がこの家に来るようになってから、庄司も頻繁に顔を出すようになった。気を最大限に使いながらというのが、手に取るように分かるから面白い。そうなると、安住も呼ばなければ気が引ける。
この家が、再び社交の場になることを誰が予想しただろう。離婚前は、家族が来る夏に、招待という形で誘っていたが、その後は、何か用事のため以外に訪問客は来ない。庄司も、男一人の、しかも、酒に縁がない男のところに、わざわざ遊びに来ることも無かった。
赤嶺は、敏子が帰って行くと、かすかに寂しさを感じるようになっていた。めぐみ達が帰って行った後には、寂しさより、どこかほっとする安堵感を覚えたものだ。このログハウスで初めて感じた寂しさかも知れない。テレビがつけっぱなしになっていた。赤嶺は、寂しさを感じた自分がおかしくなった。気が抜けてプログラミングの仕事には戻れない。しばらく、テレビを眺めて時間をつぶすことにした。
続く(次回更新:12月15日火曜日)
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