テツ男社長のたわごと

小さな東釧路駅

 釧路から花咲線を厚岸、根室方面に向かうと最初の駅が東釧路です。1925(大正14)年3月16日に別保(べっぽ)信号場として開業しました。1917(大正6)年に釧路から厚岸までは開通していましたが、釧路と別保(開業当時は上別保)の間に駅はありませんでした。ところが、釧路臨港鉄道の春採からの貨物列車を国鉄連絡させる必要があったため、根室本線上に信号場が設けられました。これが歴史の始まりです。
 1927(昭和2)年9月15日に釧網本線となる釧路から標茶まで開通した際、その分岐点は別保信号場でした。そして1928(昭和3)年11月11日、信号場から駅に昇格し、東釧路が誕生しました。

1982年の東釧路。ホームには釧網本線の混合列車、手前は釧路臨港鉄道の構内
1982年の東釧路。ホームには釧網本線の混合列車、手前は釧路臨港鉄道の構内

 釧路と東釧路の間に貨物駅の天寧がありました。はっきりした資料が残されていないので、開業時の様子は不明なことが多いのですが、1940(昭和15)年1月15日から、それまで釧路~天寧の貨物線から東釧路~天寧に変更されました。その後、天寧の貨車は東釧路で扱っていましたが、1984(昭和59)年2月1日に天寧は廃止されました。今も東釧路から釧路方面へ向かって本線に並行する線路がしばらく伸びていて、時々線路保守用の車両を見ますが、天寧への貨物線の跡です。
 天寧が廃止されて2年後、1986(昭和61)年11月1日、釧路臨港鉄道も東釧路への乗り入れをやめ、東釧路は旅客だけの営業になりました。

青いホーロー製の駅名標
青いホーロー製の駅名標

現在の駅舎は、待合室に椅子は数脚あるだけですが、事務所側に高さの違うテーブルのようなものが突き出ています。高い方がもともと切符を販売する出札窓口の跡、低い方は小荷物を扱っていた窓口の跡です。また、ホーム側の駅舎入口上部には、青いホーロー製の駅名標があり、これも国鉄時代を思い出させます。

駅舎内にある出札窓口跡(手前)と小荷物窓口跡
駅舎内にある出札窓口跡(手前)と小荷物窓口跡

東釧路の構内は、島式ホーム1本だけです。列車交換もできるのですが、駅舎側の1番ホームは主に網走方面への釧網本線、2番線は主に根室への花咲線の発着に使っています。ただ、釧網本線のくしろ湿原ノロッコ号、SL冬の湿原号だけは2番線を利用しています。
 駅舎とホームの間が広くなっていますが、これは貨物線の跡です。また、2番線の線路をはさんで向こう側は、今住宅地になっていますが、釧路臨港鉄道の構内でした。
駅舎とホームの間に、釧網本線の起点終点を示す0㌔ポストがあります。その「0」の下には、根室本線313K800の文字も。これは起点の滝川からの距離です。残念ながら、新得と東鹿越の間は台風被害を受け、今も不通のままです。

釧網本線の「0」㌔ポスト
釧網本線の「0」㌔ポスト

 東釧路は、ノロッコ号、湿原号を含めてほとんどの列車が停車します。時刻表をみると定期列車だけで29本の列車が発着します。しかし、もう1本東釧路を通る定期列車があります。根室発11時3分の釧路行快速「はなさき」です。この列車は厚岸からノンストップで釧路をめざし、東釧路も通過します。珍しい東釧路を通過する「はなさき」の車内と車外から撮影しました。


快速「はなさき」が東釧路を通過する様子を車内から

 一般の利用者よりも、釧路市、釧路町へ通う近隣の町からの高校生の利用が断然多いです。朝と夕方、生徒たちの元気な声が響きます。
 2022年1月22日から釧網本線の釧路~標茶でSL冬の湿原号が走ります。例年、東釧路ではSLの雄姿を見ようと多くの家族連れが見学に訪れます。住宅と大型スーパーに囲まれた小さな駅に子供たちの歓声が聞こえます。
 さて、今年10月から始まりました「テツ男社長のたわごと」ですが、今年はこれで終了です。来年も〝ひがし北海道〟の鉄道ネタをお届けしますので、よろしくお願いします。


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