テツ男社長のたわごと

22日から湿原号出発(その1)

 新年明けましておめでとうございます。今年も、ひがし北海道の〝鉄ネタ〟を中心にご紹介します。
 さて、ひがし北海道の冬季観光といえば、釧網本線の釧路と標茶の間を1日1往復する「SL冬の湿原号」(以下 湿原号)。けん引機は標茶町の桜児童公園で保存されていたC11-171です。一時期、静内町のC11-207(現在 東武鉄道)も復活し、2両で留萌本線や函館本線、富良野線など北海道内各地でSL(蒸気機関車)列車が走っていました。しかし、現在は171がけん引する湿原号だけです。
昨年で171の全般検査(自動車の車検に相当。以下 全検)が切れることから、運転継続を心配する声もありましたが、関係者の努力で全検が行われ、さらに客車もリニューアル(一部の車両は2023年に登場予定)して今シーズンの運転初日1月22日を迎えます。そこで、今回は私が見て聞いた湿原号復活までの歩みをご紹介します。

標茶町桜児童公園で保存されていた171(1978年11月)
標茶町桜児童公園で保存されていた171(1978年11月)

桜児童公園で保存されていた171が、1998年11月26日に整備のため、札幌市内のJR北海道苗穂工場に運ばれていったのが物語の始まりでした。当時、私は釧路新聞標茶支局に勤務していましたので、同公園から運ばれていく姿を見ていました。

桜児童公園から苗穂工場へトラックで運ばれる171
桜児童公園から苗穂工場へトラックで運ばれる171

 翌年春に復活を遂げた171は、留萌本線の深川~留萌間を「SLすずらん号」(以下 すずらん号)として運行を始めました。それを受け、標茶町をはじめ釧網本線沿線の自治体から「ぜひ帰郷運転を」との声があがりました。標茶町民を中心にした有志による「C11-171を釧網本線に迎える会」(以下 迎える会)が1999年5月24日に発足しました。会員の中には、171が現役で標津線を走っていた際にハンドルを握り、また、同公園で保存されてからは手入れをしてきた標茶機関区の元運転士さんたちに多く参加していただき、大きな力になってくれました。設立総会では、署名活動など今後の誘致活動を決め、JR北海道をはじめ関係機関に本格的な働きかけを!と思っていましたら、その3日後の5月27日午後、釧網本線の釧路~標茶間での「SL冬の湿原号」(仮称)の運転がJR北海道から発表されました。

JR北海道から発表された「SL冬の湿原号」(仮称)運転のプレスリリース(1999年5月27日)=左=と迎える会発足を伝える釧路新聞(1999年5月27日)
JR北海道から発表された「SL冬の湿原号」(仮称)運転のプレスリリース(1999年5月27日)=左=と迎える会発足を伝える釧路新聞(1999年5月27日)

釧網本線で湿原号の運転が決まり、迎える会はJR北海道本社とすずらん号が運転されている留萌本線沿線を訪れました。印象に残る場面がありました。すずらん号が深川を出発する前、標茶機関区の元機関士さんとすずらん号の現役機関士さんが〝カマ〟の調子などを話していました。30年ぶりに火の入った〝カマ〟を見て、元機関士さんたちは、どのような気持ちだったのでしょうか?

深川駅で171の調子を話し合う元運転士さんと現役運転士さん
深川駅で171の調子を話し合う元運転士さんと現役運転士さん

 さて、標茶町では1999年11月4日に役場、商工会、まちづくり団体のみなさんで構成する歓迎実行委員会が組織されました。湿原号が標茶駅で停車中に飲食、特産品販売などを行うお店をはじめ、乗客のみなさんをおもてなしする方針が決まりました。迎える会は、イベントを担当しました。そこで試運転で初めて釧路から標茶へやってくる日、標茶駅の数百メートル手前の同公園前に列車を止めてもらい、そこで歓迎イベントを実施することにしました。
 今から考えると、本線上で列車を止めることなどありえませんが、JR北海道、標茶町をはじめ沿線自治体が、「何とか湿原号を盛り上げよう」という思いが重なり実現に至りました。
 さすがに初日は難しいとのことで、2回目の試運転12月22日に決行されました。171が眠っていた同公園前には町内の園児、標茶小学校1、2年生の児童が集まり、試運転列車の到着を待ちました。汽笛とともにやってきた列車が停車すると、子供たちは「お帰りなさい!」の大合唱で迎えました。すると列車からサンタクロースが降りてきました。迎える会とJR北海道釧路支社でイベントの打ち合わせをした際、釧路支社からクリスマスが近いこと、参加した子供たちにお礼をしたい、との気持ちからサンタクロースが列車から下りてくるサプライズが生まれました。
子供たちから大きな歓声があがりました。下りてきたサンタクロースとともに、試運転列車を見送り、その後、サンタクロースから子供たちにプレゼントが手渡されました。
 この歓迎イベントの出迎えの幕を作成したのは標茶中学校の生徒でした。また、標茶高校の生徒たちは「SLプロジェクト」を立ち上げ、乗客や町民のみなさんへのアンケートを実施、未来の町の姿も含めレポートにまとめました。

試運転列車を利用して桜児童公園前で行われた歓迎イベントでサンタクロースが子供たちの前に登場(1999年12月22日)
試運転列車を利用して桜児童公園前で行われた歓迎イベントでサンタクロースが子供たちの前に登場(1999年12月22日)

2000年1月8日、湿原号が営業運転をはじめ、この年は3月20日まで運転しました。最終日には、桜児童公園の前に再度、列車を止めてもらい、今度は老人クラブのみなさんで「来年も来てね」と見送りました。
まだまだ書ききれないほど、標茶町民のみなさんをはじめ、沿線自治体のみなさんが湿原号を盛り上げようとかかわってくれました。
さて、今年も湿原号は走ります。詳しくはJR北海道のホームページでご確認ください。そして、ぜひ乗ってくださいね。
 最後に、2005年に撮影した標茶行の湿原号の動画をどうぞ。今は東武鉄道で大樹号として活躍している207が、釧路湿原を出発するシーンです。いきなりの登り勾配と右カーブが続く難所で、多くのファンがカメラを構える地点です。


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