テツ男社長のたわごと

釧路、根室地域の廃線になった鉄路(番外編 釧路工場)

 釧路、根室地域から姿を消した鉄路は、ほかにもあります。根室本線でいえば、旧十條製紙の岐線(新富士)、旧本州製紙の岐線(大楽毛)、天寧貨物線・太平洋石炭販売輸送=釧路臨港鉄道=(東釧路)、浜厚岸(厚岸)、根室港(根室)、釧網本線では旧北海道製糖磯分内工場の専用線(磯分内)、それに根室拓殖鉄道や各地の馬鉄などです。

 今回は番外編として、釧路市幸町にあった国鉄釧路工場の歴史をお伝えします。また、前回の「テツ男社長」で、浜中町営軌道の保存車両が浜中町茶内から姿を消していたことを報告させていただきましたが、その調査結果もご報告します。

 

釧路工場(1968年5月)

 

○国鉄釧路工場

 釧路と白糠に鉄道が開通した1901(明治34)年7月、釧路機関庫設立と同時に附属修繕場として設置されました。札幌鉄道作業局派出所釧路運輸事務所の所属でした。

 1913(大正2)年5月、旭川工場釧路派出所と改名、北海道帝国鉄道管理局工作課所属になりました。

 1916(大正5)年11月に釧路工場として独立、その後、1942(昭和17)年9月の機構改正により釧路工機部と改称しました。

 戦後は1949(昭和24)年11月、機構改正で釧路鉄道管理局釧路工機部、さらに1950(昭和25)年1月に釧路鉄道管理局釧路工場と改称しました。

 1973(昭和48)年9月、組織改正で釧路鉄道管理局の現業機関となり釧路車両管理所と名称を変えます。この2年後1975(昭和50)年3月には蒸気機関車の修繕を終了しています。最後のカマは北見機関区の29657でした。1985(昭和60)年3月には組織改正で釧路車両所、そして分割民営化の1987(昭和62)年4月からは北海道旅客鉄道釧路車両所になりました。

 

JR北海道釧路車両所(1993年6月)

 

 1996(平成8)年5月、幸町から喜多町に移転して釧路運輸所と統合、釧路運輸車両所として現在も車両の修繕などを行っています。(「くしろ 95年のあゆみ」 釧路車両所1995年発行より)

 では弊社に残る釧路工場の画像をいくつか紹介します。

 

釧路工場の歴史を示す銘板

 

釧路工場構内図(1966年ころ)

 

釧路工場見学会(1971年10月)

 

SLの最終出場、カマは29657(1975年3月)

 

釧路車両所で整備されるキハ22、40(1988年3月)

 

釧路車両所への岐線、今は遊歩道に(1989年1月)

 

 現在、釧路工場の跡地は釧路合同庁舎、釧路市こども遊学館、日本銀行釧路支店などが立ち並び、鉄道の大きな施設があったとは思えません。でも、根室本線から釧路工場への岐線跡は遊歩道になり、合同庁舎と遊学館の間には釧路工場跡地の碑が設置されています。近くの幸町公園にはC58-106や北海道鉄道記念塔、釧路市交流プラザさいわい前には「旧釧路停車場跡」碑などもあり、鉄道のにおい?がプンプンします。一度界わいを散策してみてください。

 

釧路工場への岐線跡は遊歩道に、工場跡地の碑もあります

 

○浜中町営軌道の保存車両・・・調査結果

 現在、ディーゼル機関車、自走客車の台車は、整備を受けるため浜中町内の別場所にちゃんとありました。これからさびを落として塗装をし直し、11月にはお披露目されます。これにともない展示場所も変わります。浜中町立茶内中学校の道路をはさんで向かい側の浜中町農村運動広場で、国道44号から茶内駅に向かう道路沿いです。

 ピカピカになって出てくる車両にご期待ください。

 

浜中町内で整備を待つディーゼル機関車

 

★次回は7月18日ころに更新します。


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