釧根人札幌市

(123)つうけん常務取締役キャリア事業部長 片桐典行さん【札幌】

多くの友人が何よりの財産

 ―新得高校を卒業と同時に電電公社に入社されます。

 片桐 大学進学を希望していましたが家の援助が期待できず、担任の先生に相談すると「大学のある公社に就職しては」と勧められ、電電公社に入社しました。実務のキャリアを積んで中央電気通信学園大学部に入学し、卒業後は技術系の知識を生かして仕事に取り組んできました。

 ―技術系の仕事とは?

 片桐 簡単に言うと、電柱を立てて電線をつないだり、電話交換機を組み立てたりするなど、電話通信網の敷設と保守が主な業務となります。

 ―電電公社の民営化という大きな転機もありました。

 片桐 電電公社の民営化は1985年ですが、国営から民営に移行する際、全国各地にある通信設備を固定資産として算出する必要がありました。それには技術的な知識が必要となるため、東京の経理部に配属されて、関係省庁との折衝に奔走したものです。

 ■急速に進化した通信界

―電話からインターネットへと通信は一気に進歩します。

 片桐 30年ほど前に光ファイバーが登場しますが、高価なものだったので、最初は交換局同士の中継のために使っていました。ところが、インターネットの普及で通信の高速化が求められるようになり、予想を上回る速さで光回線が普及していくことに。一般の家庭でこれほど使われるとは予想もしませんでした。同じ時期に普及した携帯電話の基地局建設や保守も、私たちの業務の一環です。

 ―釧路支店には支店長として赴任されます。

 片桐 釧路では2012年から2年間過ごしました。わずか2年でしたが、本当に充実した日々で楽しい思い出ばかりです。私も妻も、釧路ライフを大いにエンジョイさせてもらいました。

 ―釧路で印象に残るのは?

 片桐 ロータリークラブや商工会などの集まりを通して、多くの友人を得たことが何よりの財産ですね。各出先機関の支店長が集う「釧路サンドウイッチ会」の仲間とは、今も付き合っています。「くしろ港まつり」で支店のみんなと一緒に踊り、大いに盛り上がったことも忘れられません。

 ■変化を恐れずに挑戦を

 ―取締役を務められる「つうけん」はどんな会社ですか。

 片桐 主に通信網の構築を手掛け、道内21カ所に拠点を構えています。今後も通信の高速化に合わせて、設備面の充実がますます求められるようになると考えています。

 ―道東や釧路への提言を。

 片桐 変化を恐れず、もっとチャレンジしてもよいのではないでしょうか。というのも、釧路時代にいろいろな提案したものの、なかなか新しい風が吹かず、歯がゆい思いをしたからです。観光業を中心に高いポテンシャルを持つので、外部の提案や意見をうまく活用してほしいですね。 (取材=札幌・亜璃西社)

[写真/「釧路は魚介やザンギなど、酒とグルメが一級品。今でも出張の際は、行きつけのスナック『メルヘン』に必ず立ち寄ります」と片桐さん]

 かたぎり・のりゆき 1958年新得町生まれ。新得高校を卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。82年、2年制の中央電気通信学園大学部卒業。85年の民営化を挟み、技術系の知識をベースにサービス運営部、サービスマネジメント部長などを歴任。2012年釧路支店に支店長として着任。14年の退社後は、通信工事大手の日本コムシス北海道支店副支店長やグループ会社の通信電設(横浜市)代表取締役社長を歴任。21年、グループ会社のつうけん入社。現在は妻の翠さんと札幌で二人暮らし。


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