テツ男社長のたわごと

ダイヤ改正(その1)

 JR各社は3月16日にダイヤ改正をしました。釧路、根室地方に関わるところでは、特急おおぞらが全車指定席になったこと、釧網本線で運行される車両がH100形気動車に置き換わること、釧網本線と根室東線(花咲線)で野生生物との衝突を避けるために減速運転を通年にしました。毎年、ダイヤ改正のたびに時刻表を購入し、夜遅くまで読みふけるのは至極の時間です。ところで、我が家の資料室に、国鉄釧路鉄道管理局、JR北海道釧路支社で発行した列車時刻表があります。今回は昭和、次回は平成の列車時刻表の一部を紹介します。字が小さいものもありますが、雰囲気を味わってください。

 なお、2024年3月16日改正の「釧路駅列車発着時刻表」(釧路新聞社制作)は、釧路新聞電子版のトップページからダウンロードできます。

 

釧路市内のデパートで開催された「〈鉄道100年〉栄光の蒸気機関車展開催記念」の列車時刻表。表紙の写真はC58のトップナンバー。国鉄のキャンペーン「DISCOVER JAPAN」が懐かしいですね=1972(昭和47)年7月発行

 

我が家の資料室にある最も古い列車時刻表。当時、旅行ブームに乗って「観光団募集」の広告も=1970(昭和45)年12月発行

 

釧路~上野が一枚の時刻表に収められていました。もちろん北海道と本州を結んでいたのは青函連絡船です=1970(昭和45)年12月発行

 

根室本線の釧路~根室間にグリーン車、座席指定車を連結した急行が走っていました=1970(昭和45)年12月発行

 

釧網本線には釧路から網走経由で札幌とつなぐ急行もありました。今思えば夢のような列車です=1970(昭和45)年12月発行

 

私が国鉄に入社した年の列車時刻表。表紙は標茶町の「くしろ温泉パークいこいの家 かや沼」。今年秋にはリニューアルオープンの予定です=1978(昭和53)年10月発行

 

釧路と函館を結ぶ特急おおぞらは3往復でした。そのすべてに「ナイフとフォーク」のマーク、つまり食堂車が連結されていました=1978(昭和53)年10月発行

 

根室本線の釧路と根室を走っていた急行には茶内、浜中を通過する列車もありました。広尾線や士幌線が健在でした=1978(昭和53)年10月発行

 

混合列車が当たり前の釧網本線でしたが徐々に気動車の波が押し寄せていました=1978(昭和53)年10月発行

 

札幌近郊と十勝・釧路・根室地域との距離を短縮した石勝線開通時の列車時刻表。キハ183系がさっそうと描かれていました=1981(昭和56)年10月

 

特急と夜行急行は石勝線経由、昼行急行は従来の富良野経由でした=1981(昭和56)年10月

 

JR北海道になってから一年が経過して青函トンネルが開通しました。釧網本線から急行が姿を消し、根室本線の釧路~根室は急行一往復になりました=1988(昭和63)年3月発行

 

特急おおぞらは帯広発着も含めて7往復の大所帯に。でも函館への直通はなくなりました=1988(昭和63)年3月発行

 

※次回は4月1日ころ更新します。


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