テツ男社長のたわごと

貨物列車に添乗しました

 JR貨物北海道支社様のご協力で石北本線で運転されている貨物列車の運転席に添乗しました。北海道の物流を担う貨物輸送の最前線をお伝えします。

北見貨物駅に到着してコンテナを下ろす作業中の8071列車。

 

■北旭川を出発

 添乗させていただいたのは10月30日、北旭川駅から北見貨物駅まで8071列車です。北旭川駅を4時3分に発車して北見貨物駅には8時28分に到着します。

 3時過ぎに北旭川駅の事務所に到着、信号扱い所を見学させていただきました。1978年から4年間、私が釧路鉄道管理局新富士駅で構内係として勤務していた時代は、運転係が制御盤のテコを回してポイントを切り替えて進路をとっていましたが、今はパソコン操作です。

 また、8071列車の組成にディーゼル機関車DF200を連結させる際、無線機を使っていて、その声が信号扱い所に流れていました。私の時代は、操車係が旗やカンテラを振って運転士に合図をしていました。無線誘導は当時もありましたが、時代の流れを感じました。

 3時40分ころ、DF200に向かいます。同線の貨物列車は、コンテナ車列の前後にDF200連結して運転する方式。先頭は本務機、最後尾は補機で力を合わせて北見の山を越えます。重連の総括制御ではなく、それぞれに運転士さんが乗務しています。コンテナ車は11両。これが同線内では最大両数です。それだけ厳しい勾配や曲線、駅の交換設備の制限が立ちはかっていることを示しています。

 カクテル光線に照らされた8071列車の最後尾に取り付いたDF200に乗車しました。運転室は、意外に静かで、外で聞いていたエンジン音がうそのようです。でも、運転室と機械室の境にあるドアを開けるとエンジンや機器の音がどっと入り込んできます。北旭川駅をショックもなく、また、発車のベルもなく定時に出発。後ろの運転席に陣取りましたので、北旭川駅のコンテナ車群がみるみる遠ざかっていきます。

 

■石北本線へ

 6分後に新旭川駅に到着しました。ここから進行方向が逆になり今乗ってきたDF200が先頭になり石北本線に入ります。停車時間は8分なのですが、運転士さんは慌ただしく出発の準備を行います。最高速度設定など同線に入るための仕様に変え、補機の運転士さんとも無線で打ち合わせをします。

暗闇の中、新旭川駅で出発を待ちます

 

 「発車まで3分です」と突然、女性の声がモニターから聞こえてきました。モニターはPRANETS(プラネッツ)という名称で、列車の位置を荷主等に知らせる装置です。付加機能として発車前の通知、徐行箇所の通告機能を備えています。その声に促されるように最終確認をして4時17分、新旭川駅を出発しました。外はまだ暗闇でヘッドライトに照らされた2本のレールだけが浮かび上がります。最高速度は75㌔、平野部は順調にジョイントを刻んでいきます。

 伊香牛を過ぎた頃から平坦な地形から、やや登りにかかりカーブも多くなってきました。中愛別駅を過ぎて、まもなく貨物列車の徐行速度「45㌔制限」がこの先にあることをモニターの女性が連呼します。モニターは運転士さんのさまざまな業務を支援しています。

 ところで同線の特徴なのでしょうか?交換設備のある駅を通過する際、副本線の信号が青になっていることがあります。通常、通過線は本線に設定されるのですが、不思議です。すべての旅客列車が停車する上川駅も通過。新旭川駅を出発して遠軽まで停車駅はなく、運転士さんは約2時間半、緊張の連続です。

 

■石北の山越え

 上川駅を通過するといよいよ最初の難所、石北の山越えが始まります。天幕駅跡を過ぎると半径300㍍の曲線、そして登り勾配が続きます。エンジン音が、力を込めているのか軽快な音から重々しい音に変わります。中越信号場からは速度も目に見えて落ち、30㌔ほどでゆっくりと地を這うように進みます。

 平坦な区間の補機は、ほとんど〝ぶら下がり〟状態で、コンテナ車同様、本務機に引っ張られています。しかし、山越えなど本務機だけでは厳しい区間では、補機が後ろから押し上げます。前と後ろのDF200が呼吸を合わせて峠を越えるわけです。どこで補機の力を借りるかは、事前に打ち合わせをしているとのことでした。

 釧路市内で、石炭を港まで運ぶ釧路臨港鉄道も石炭車をはさんで先頭と最後尾にディーゼル機関車を付けていました。その際、本務機の汽笛の合図で、ノッチを上げて力行したり、ノッチを戻して〝ぶら下がり〟状態になっていました。しかし、同線の貨物列車では汽笛合図はありません。

 峠越えで怖いのは空転です。特に秋口は落ち葉の油分で空転や滑走が大きくなります。添乗日の前日は水分の多い降雪であったため多数の倒木が発生し、その除去作業のため旅客列車に運休など影響が出ました。倒木を撤去した跡が線路際に多数ある中、空転が発生しないように2両のDF200は力を加減しながら着実に進みます。その緊張感がこちらにも伝わります。やっとの思いで上越信号場を通過すると、すぐに石北トンネルに入ります。しばらく力行していましたが、トンネル内にある石狩と北見の分水嶺を越えると下っていきます。

 

■エゾシカ注意

 トンネルを抜けると空が明るくなっていました。峠越えを無事に終え、北見の国に歓迎されているようでした。ここからは〝白滝〟シリーズで、奥白滝(現在は信号場)、上白滝、白滝、旧白滝、下白滝(現在は信号場)と続いていましたが、今や〝本家〟の白滝だけが駅として残っているだけです。

 牧場内にエゾシカの姿が見てきました。遠くにいるうちはよいのですが、線路上に現れると危険です。そんな心配をしていましたら、雄のエゾシカが線路内にいました。列車は徐行して線路の外に出るのを待ちますが、なぜか線路沿いをしばらく走ってから左に逃げていきました。やれやれと思っていましたら、今度は左から別なエゾシカが突然侵入してきました。ブレーキをかける間もありませんでしたが、間一髪で列車の前を駆け抜けていきました。冷や汗ものです。ちなみに翌日の8071列車はエゾシカと衝突したそうです。

線沿いに逃げる雄のエゾシカ(JR貨物北海道支社提供)

 

■スイッチバック

 遠軽町が見えてきました。右から網走駅からの線路が近づき6時32分、最初の停車駅、遠軽駅2番線に到着しました。ここで進行方向が変わりますので、それまで最後尾の補機だったDF200に引っ越しします。移動中にコンテナ車を見てみると産業廃棄物を積載したコンテナが積まれていました。しかし、この日は空コンが多いとのこと。北海道から出て行く荷物はたくさんあるのですが、入ってくる荷物が少ないという物流の課題を垣間見た思いでした。

 今の時期、北見からはタマネギを中心に多くの荷物がありますが、復路は空コンが多いのです。旅客は往復ともまずまずの乗客はいますが、貨物はそうはいきません。荷物を積んだコンテナは、北見に戻さないと次の荷物は運べません。空コンはお金をいただくわけにはいかない回送ですから、つらいところです。

 遠軽の停車時間は8分です。コンテナを眺めながらゆっくり歩いていましたが、気がついたら発車時間が迫っていました。それにコンテナ車の11両は〝まあまあ〟の長さで運転室に飛び込むとすぐに出発でした。

遠軽では進行方向が変わります

 

■常紋の山越え

 安国を出たところで線路に霜が付着しているせいか、先頭のDF200が少し苦しそうです。遠軽からしばらくは本務機だけの運転です。このままでは空転も予想されますので、本務機の運転士さんが補機の運転士さんに無線で「3ノッチ入れて」と要請します。するとふっと軽くなり快調な走りを取り戻しました。しばらくした後、本務機の運転士さんが「ありがとうございました」と補機の運転士さんに無線で連絡して、再び本務機のみで生田原をめざします。

 生田原で2分の休憩の後、二つ目の難所、常紋の山越えに向かいます。勾配を示す標識が10、20、25‰と上がっていきます。線路も右へ左へと曲線が続きます。そして常紋トンネルに突入します。建設時には強制労働が行われていたと伝えられ、金華信号場の近くには常紋トンネルの工事で亡くなった人たちを慰霊する石碑が建てられています。北海道の産業と生活を守るために、先人たちがいかに苦労したかを石北や常紋の山越えは物語っています。

 トンネルに続いて分岐器を雪から守る屋根が取り付けられていました。常紋信号場の名残です。スイッチバックの設備がありましたが、今は線路や分岐器も撤去され跡が残るだけです。

 金華信号場ではH100の普通列車が交換待ちをしていました。先輩格のDF200に向かって「お疲れっす」と言っているように見えました。

 留辺蘂駅では列車交換のため30分停車します。同駅はかつて林業の集積地であり、また、層雲峡への観光客の入口でした。駅に風格があり、跨線橋も歴史を感じさせます。私が釧路市内の中学校に通っていた50年ほど前、修学旅行は層雲峡の黒岳、赤岳の登山でした。釧路から列車(キハ56、27)に乗り留辺蘂駅で下車、貸切バスで層雲峡へ向かったことを思い出しました。網走駅からのキハ283系特急オホーツク2号がやってきます。こちらは同じ世代なだけに「お互いに頑張ろう」と言っているように見えました。

 

■北見貨物駅に定時到着

 北見駅には8時28分、定刻に到着しました。しばらく停車後、本線を引き上げて北見貨物駅のコンテナヤードに転線し、フォークリフトがコンテナを運びます。旅客の場合は、具合の悪い方や酔客を除けば、自分の足で列車を降りますが、貨物はそうはいきません。それだけ貨物輸送は手間がかかっています。

 私は国鉄に勤務していた約10年間、新富士駅で貨車の入換作業や管理業務をしていましたが、貨物列車(機関車)に乗るのは今回が初めてでした。当時は列車掛という旅客列車でいうところの車掌が貨物列車に乗務していましたが、今はいません。石北本線では勾配や曲線などの都合でコンテナ車11両が限度ですが、それでも数百㌧の列車をハンドル一つで操るのは至難の業です。車と違いブレーキやアクセルの反応は遅いですし、コンテナ車の積載量(重さ)、天候などにより条件は日々変わり、また、動物の飛び出しなど瞬時の判断が求められる場合が多々あります。

 これから本格的な冬を迎え、線路状況はいっそう厳しくなります。また、夏場でも、今までに経験のない集中豪雨や暴風に見舞われることがあり、11月1日は奥白滝信号場~白滝間の線路冠水により上りの8076列車が運休、翌2日の8071列車も運休となりました。一年の通して過酷な条件の中で貨物列車が運行されていることがわかりました。

 物流網は人間の体で言うところの血管で、これに問題があると病気になります。トラックから鉄道や船へのモーダルシフトが叫ばれています。鉄道網の維持は、地方にとって生命線でもあります。より安定した物流網を維持していきたいものです。

 

★北海道内で発行しています函館新聞、室蘭民報、苫小牧民報、十勝毎日新聞、釧路新聞では、10月29日に「JIMOTO」新聞を製作しました。今回はJR貨物北海道支社様を含め道内の物流ネットワークの特集を5ページにわたり掲載しています。釧路新聞電子版https://kushironews.jp/の上部にあります「お知らせ」JIMOTO新聞 Vol.22をクリックしていただくとダウンロードできます。ぜひごらんください。

 

★釧路駅に正面に向かって左、緑色の建物の1階にあります北海道鉄道OB会「鉄道グッズ展示室」は、11月21日(金)、28日(金)10時から13時30分まで開放します。入場は無料です。都合で変更する場合がございますのでご了承ください。

 

※次回は12月1日ころ更新します。


釧路新聞電子版のご登録はコチラ!登録月は無料!!

関連記事