テツ男社長のたわごと

釧路・根室地域の廃線になった鉄路(その2)

1 白糠線
 根室本線の白糠から北上し、北進までの33.1㌔の国鉄線でした。1969年10月7日に白糠~上茶路が開通しました。当時、上茶路には雄別炭礦上茶路炭鉱が操業していて、旅客輸送もさることながら石炭輸送の重責を担っていました。セキをけん引していたのは、D51型蒸気機関車でした。

終点の北進はホームが一本あるだけで、ポツンとキハ22が停車していました(1981年5月)

白糠線最後の日にはキハ22とキハ40の5連の列車も(上白糠付近 この写真はASA1600のフィルムを使ったと記憶していまして、そのためこんな粗い画像に・・・)

 1972年9月8日に上茶路~北進が開業しました。しかし、上茶路炭鉱はすでに1970年に閉山していて、厳しい環境の中でのスタートでした。1981年に国鉄第一次特定地方交通線に指定され、1983年10月23日に廃止されました。

 白糠駅横のバスターミナル内には、白糠線の資料もありますのでお立ち寄りください。

廃止から約40年が経過しましたが、トンネルや橋りょうなどがたくさん残っていています(縫別~上茶路の橋梁)

白糠駅構内の音別寄りには白糠線の線路(右)が少し残っています

2 標津線
 釧網本線の標茶~根室標津69.4㌔、その途中の中標津から分かれ根室本線の厚床までの47.5㌔のJR北海道の路線でした。
 大正時代から開拓を目的とした植民軌道がほぼ同じ路線を運行していましたが、輸送量の増大から国鉄の路線として、1933年12月1日に厚床から西別(後の別海)まで、翌年10月1日西別から中標津が開通しました。一方標茶からは1936年10月29日に計根別まで、翌1937年10月30日に根室標津まで開通し、全通しました。

中標津駅で出発を待つキハ24(1980年6月9日 キハ24の車体全てを入れるのがベストですが、当時はそんなことを考えませんでした・・・)

最終日の中標津駅(1989年4月29日 新聞掲載用のため白黒です)

 しかし、1989年4月29日に廃止、バスに転換されました。沿線には、保存されている車両や施設があります。主なものをご紹介します。

JR北海道の根室東線(花咲線)、厚床駅から標津線跡を利用したフットパス「厚床パス」 厚床パス (nemuro-footpath.com) があります

奥行臼には駅舎のほか駅逓や別海町営軌道の車両などが保存されています。これら交通歴史遺産を史跡公園として整備する計画 奥行臼史跡公園整備基本構想 | 奥行臼史跡公園について | 別海町の文化財 | 町の歴史と文化財 | 教育・文化・スポーツ | 北海道別海町 (betsukai.jp) があります

根室標津駅跡では、C11-224を整備してモーターで動かしています。転車台も活用するなど標津転車台保存会 標津転車台保存会 | Facebook ではC11-224を活用したまちづくりに挑戦しています。

中標津町郷土館 中標津町郷土館WEB (nakashibetsu.jp) には標津線の資料も展示されています。また、近くには〝カニ目〟のC11-209も保存されています。

西春別駅跡には別海町鉄道記念公園 鉄道記念公園 | 町立公園 | 町の施設 | 北海道別海町 (betsukai.jp) があり、標津線の資料が保存されています。また、キハ22など標津線で活躍した車両も展示しています。

★お知らせ
 「絶景北海道の鉄道」(北海道新聞社発行)が出版されました。札幌在住の番匠克久さんの作品を中心に、四季折々の風景の中を走る列車たちが生き生きと表現されています。改めて北海道の良さを感じました。ぜひ手にとってください。

★次回は6月20日ころに更新します。


釧路新聞電子版のご登録はコチラ!登録月は無料!!

関連記事