テツ男社長のたわごと

石炭列車の思い出

 9月30日付の釧路新聞で、釧路市内で2019年まで運行していた石炭列車解体のニュースが掲載されました。そこで、画像や映像で石炭列車を振り返ってみます。今回は花咲線の駅のご紹介はお休みします。

 

石炭列車の解体を伝える釧路新聞(2022年9月30日付)

 

 簡単に石炭列車の歴史を振り返ります。

 1925年2月11日に太平洋炭礦の石炭を釧路港へ輸送することを主な目的に釧路臨港鉄道として春採~知人(約4.1㌔)が開業、1926年2月1日 に春採~臨港で旅客営業も始まりました。路線は徐々に延長して、最長時は入舟町(現在の港文館 大町2丁目)~知人~春採~東釧路(国鉄線と連絡)~城山(久寿里橋たもと)というように釧路市橋南部をほぼ一周していました。

 1963年11月1日に旅客営業を廃止、さらに1986年11月1日には春採~知人以外を全て廃止し、春採~知人で石炭輸送に専念していました。太平洋炭礦は2002年で閉山しましたが、引き継いだ釧路コールマインの石炭輸送をしていました。

 2019年3月30に運行を休止、4月6日に「さよならセレモニー・運行」が行われ、列車は走らなくなりました。そして6月30日、正式に廃止となりました。

 

春採湖畔を走る石炭列車(2018年11月17日)

 

 廃止になる前は、ディーゼル機関車4両(D401、DE601、D710、D801)と石炭を積むセキ6000が24両ありました。24両のセキの前後にDLがとりつき、春採で石炭を積載する時と知人で石炭を下ろす時には、真ん中で切り離して分割して作業を行います。作業が終了すると連結して走っていました。

 

1980年5月の春採

 

 国鉄の東釧路駅と連絡輸送をしていましたが、1986年10月で廃止されました。最終日の10月10日には、国鉄から50系客車を借り入れ、知人から先の臨港から東釧路まで「さよなら列車」が運行されたこともあります。旅客輸送は1963年に取りやめていますから23年振りの客車列車でした。

 

千代の浦海岸を走る「さよなら列車」

 

 釧路市内をずっと走っていた石炭列車。残念ながら解体ということになりました。残念ですが、何か記憶に残ることをしたいものですね。

 

 

夕刻の千代の浦海岸を走る石炭列車(2017年10月19日)

 

★次回は10月17日ころに更新します。


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