テツ男社長のたわごと

落石、昆布盛、西和田そして花咲

今回は根室東線(花咲線)に戻ります。

【落石】

1920(大正9)年11月10日開駅

アイヌ語の「オクチン(山の尾根のくぼみ)」から転じたもので、落石岬が本土につながるくぼみをいったもの。

「駅の周辺」落石駅(1997年10月30日)

 

 落石と別当賀の間は落石岬と太平洋が一望できる絶景が広がります。落石の周辺海域はエトピリカなど野鳥の宝庫で、バードウォッチが楽しめます。落石はかわいい駅舎で、列車の交換ができる設備を持っています。

 

列車交換ができる落石

 

1986年の落石、壁の色が違います

 

落石に到着する根室行キハ54

 

【昆布盛】

1961(昭和36)年2月1日開駅

アイヌ語の「コンブ・モイ(コンブのとれる湾)」から転じたもので、今も良質のコンブを産出している。

 

「駅の周辺」昆布盛駅(1997年10月31日)

 

ホームの端に「1961-1 木原組施工」のプレート

 

1986年の昆布盛、今とそれほど変わりません

 

昆布盛を出発する釧路行キハ54

 

【西和田】

1920(大正9)年11月10日開駅

ここは明治19年に福井、石川、新潟、山形、鳥取の士族220戸を移した屯田兵第二大隊第一中隊によって開拓されたもので、当日の大隊長、和田正苗の姓にちなんで和田村と呼んだ。そのうち、一中隊は村内東部にあって「東和田」、二中隊は西部にあって「西和田」と称した。現在の駅はその「西和田」にあるため名づけられた。

 

「駅の周辺」西和田駅(1997年11月2日)

 

緩急車改造の西和田

 

1986年の西和田

 

【花咲】

1921(大正10)年8月5日開駅

2016(平成28)年3月25日廃止

アイヌ語の「ポロ・ノッ(親であるみさき)」からとったもので、「ノッ」は元来、顔のあごのこと。あごのように突き出た岬をいい、岬の出鼻に「花咲」の字を当てた。

 

「駅の周辺」花咲駅(1997年11月5日)

 

駅の跡には記念プレートが

 

1986年の花咲

 

2015年の花咲

 

※次回は6月5日ころ更新します。


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