テツ男社長のたわごと
鉄活動を振り返る(その2)
前回に引き続きまして2023年の鉄活動を振り返ります。
下津井駅跡にある車両とコスモス
【下津井電鉄線跡】
10月上旬に岡山県倉敷市を訪れました。その際に下津井電鉄線の下津井駅跡を見学することができました。同線は下津井駅と茶屋町駅を結んでいましたが、1972年に国鉄との連絡駅、茶屋町駅と児島駅の間が、さらに1991年に児島駅と下津井駅の間が廃止されました。現在、下津井駅跡にはホームと廃車になった車両が、ボランティアのみなさんの活動で保存されています。また、近くには資料館もあり、往時の鉄道の様子をうかがうことができました。
下津井駅跡はきれいに整備されています
資料館で下津井電鉄線の歴史を知ることができます
【大船渡線BRTと岩手開発鉄道】
岡山県での会合が終了後、次の所用がある大船渡市へ向かいました。大船渡線は気仙沼駅からBRT、つまりバスに乗り換えます。気仙沼駅から専用道と一般道を進みます。専用道の狭さ、トンネルは鉄道そのものでバスの乗っている感じがしませんでした。翌日、大船渡駅からBRTで盛駅まで乗車しました。
盛駅近くの踏切を通過するBRT
盛駅からは三陸鉄道に乗って釜石駅へ向かい、釜石線で花巻空港をめざしました。盛駅では1時間近い待ち時間を設けていました。それは岩手開発鉄道を見るためです。構内にはセキが休んでいました。また、1992年まで旅客輸送もしていましたが、三陸鉄道盛駅の駅舎と反対側に岩手開発鉄道のホームが残っていました。
岩手開発鉄道のセキが休憩中
旅客営業もしていた岩手開発鉄道の旧盛駅
【小海線】
10月中旬、長野県上諏訪市と軽井沢市で会合がありましたので、上諏訪駅から軽井沢駅への道すがら小海線に乗車しました。小淵沢駅で乗り換え小海線のキハ110に乗り込みました。小淵沢駅を出たとたんに登り勾配にかかり、そのまましばらく右へ左へカーブしながら坂を登っていきます。最大勾配33‰という急こう配をぐいぐい登っていくのですが、途中、空転でもしたのでしょうか?エンジンがあえいでいるような感じでした。清里駅と野辺地駅の間の踏切に標高1375㍍の標識がちらっと見えました。全国のJRの路線で最も標高が高い区間です。
清里駅のSLを横目で見ながら野辺地駅へ出発(車内から撮影)
【伊東線と伊豆急行線】
10月下旬に東京での会合があり、合間を縫って伊東線と伊豆急行に乗って伊豆急下田駅を目指しました。北海道とは違い南国ムードが漂っていました。熱海から伊豆急行の8000系に乗車しました。元東急の車両です。海側はクロスシート、山側はロングシートでした。復路は特急踊り子で東京まで戻りました。伊豆急下田駅での滞在は1時間弱でしたが、近くのスーパーで海鮮弁当を仕入れて伊豆半島を〝とりあえず〟楽しみました。
伊豆急下田駅に到着した8000系
【東成田駅と鹿島臨海鉄道】
伊豆急行線を堪能した翌週、東京での会合が再びありました。今回は新千歳空港から成田空港までLCCを利用しました。鹿島臨海鉄道に乗りたい!という欲望を抑えられなかったからです。そのため成田空港ビルから歩いて京成電鉄の東成田駅へ向かいました。今の成田空港駅が開業するまでは「成田空港駅」を名乗っていましたので、駅構内にはその片鱗が見え隠れしていました。
東成田駅のホームから「なりたくうこう」の駅名標が
京成成田で降りてJRに乗り換え、佐原駅から鹿島線で鹿島神宮駅へ向かいました。この日は鹿島スタジアムでサッカーの試合があるので満員でした。サポーターのみなさんは鹿島サッカースタジアム駅で下車したのですが、考えてみると鹿島サッカースタジアム駅は普段、通過しますので停車を体験できたことはよかったです。水戸まで鹿島臨海鉄道を楽しみ、水戸では「納豆ソバ」もホームでいただきました。
水戸駅に到着した鹿島臨海鉄道の普通列車
【東京駅から釧路駅まで列車で】
東京と釧路を往来する交通機関は100%近く航空機だと思います。でも北海道新幹線が開業してから、一度は列車で走破したいと考えていましたが、10月下旬の週末、ついに実現の運びとなりました。乗車したのは、東京駅から新函館北斗駅まで東北・北海道新幹線はやぶさ1号、新函館北斗駅から南千歳駅まで特急北斗9号、南千歳駅から釧路駅まで特急おおぞら7号です。東京駅を6時32分に出発し、釧路駅に到着したのは18時39分ですから約12時間の旅でした。新幹線が開通する前は24時間かかっていました。それを思うと「早くなった」と思います。
東京駅のホームで北海道の駅名が表示されるのは北海道民にとって胸が熱く
★今年も他愛もない鉄道のお話にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。次回は1月3日ころに更新します。2024年もよろしくお願いします!
釧路新聞電子版のご登録はコチラ!登録月は無料!!