テツ男社長のたわごと
根室本線・新富士駅の思い出(その1)
ただいま釧路市立博物館では記念ミニ写真展「新富士駅開業100年」を開催中です。詳しくはhttps://www.city.kushiro.lg.jp/museum/tenji/kikaku/2023/shinfujista.htmlをご覧き、足を運んでください。
釧路駅の西隣り、根室本線の新富士駅は1923(大正12)年12月25日に開業しました。富士製紙釧路工場(のちに王子製紙釧路工場、十條製紙釧路工場、日本製紙釧路工場と変遷 2021年撤退)の新設にともないできた駅で、会社名にちなみましたが、東海道本線に富士駅があるため「新」を付けました。現在、東海道新幹線に新富士駅(1988年開業)があります。
根室本線・新富士駅入口
現在の新富士駅は、島式ホーム1本に待合室があるだけの無人駅です。でも構内には釧路貨物駅があり、ひがし北海道の物流の拠点です。開業当時から、運ぶモノは変化しましたが、新富士駅の歴史は貨物抜きでは考えられません。
私は1978(昭和53)年秋から1983(同58)年春まで、国鉄職員として新富士駅に勤務していました。同博物館のミニ写真展を記念?しまして、当時の新富士駅を2回に分けて振り返ってみます。文章がやたら長く、分かりづらい表現もあろうかと思います。また、今から40年も前のことなので、記憶違いがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
新富士駅(1986年撮影)
当時の新富士駅では駅長含め約50人の職員が勤務していました。出札、小荷物の窓口もありましたが、営業取扱の多くは貨物で、職員は一部を除いて午前9時(9時30分だったかも)から24時間勤務でした。内勤は、出改札、手小荷物、配車、貨物の各係。貨車の入換を担う外勤は、信号、操車、転轍、構内の各係です。
取り扱う貨物の一つ目は、車扱い(しゃあつかい)で、毎日ではないのですが、ワム車1両が新富士駅の貨物線に入りました(構内配線図では「仕1」と書いている線)。しかし、1978年から1~2年後に車扱い貨車はなくなりました。
二つ目は、製紙会社(十條製紙釧路工場)内に貨車を入れたり、出したりしていました。構内配線図の右上、斜めに伸びている線で、「十條岐線」とか言っていました。紙製品を積んだワム80000を数両、同釧路工場から出したり、パルプをつくるためだと思うのですが、薬品が入ったタム(形式は忘れました)を同釧路工場に入れたりしていました。
三つ目は、新富士駅に近い釧路西港の石油タンクから各地へ配送する石油類を積んだタンク車で、これが最も多かったです。一日50両から、秋冬の繁忙期には100両近く出荷していたと記憶しています。
新富士駅の1980年ころの構内配線図。左が大楽毛方、右が釧路方。
石油類のタンク車は、釧路開発埠頭所有のディーゼル機関車がけん引して西港から同社の仕分線(構内配線図の右下)に入り、新富士駅の主に9番線に押し込みます。午前1回と午後からは2回です。両数はそれぞれ20両前後。タンク車の行き先は、根室本線帯広方面、釧網本線中斜里、石北本線美幌方面が混在しています。それを新富士駅で列車別に振り分け、組成をつくります。
入換機のディーゼル機関車DE10は、午前、午後、翌日の早朝の3回、釧路操車場(今はありません)からやってきます。その際、釧網、石北本線方面からの空タンク車と緩急車(列車掛が乗務)を従え、新富士駅4番線に到着します。この貨物列車を「小運転(こうんてん)」と呼んでいました。到着後、DE10が入換機に変身して構内を動き回ります。入換が終了すると、釧網、石北本線方面への石油類を満載したタンク車と緩急車とともに釧路操車場へ戻ります。ちなみに1980(昭和55)年1月のダイヤを見ると、小運転時刻表は下記の通りでした。
- 1082レ 釧路操 10:28 → 新富士 10:34 入換作業
1083レ 新富士 13:05 → 釧路操 13:12
- 1084レ 釧路操 14:24 → 新富士 14:30 入替作業
1085レ 新富士 17:23 → 釧路操 17:30
翌日
- 1080レ 釧路操 5:10 → 新富士 5:16 入替作業
1081レ 新富士 8:14 → 釧路操 8:21
新富士駅発行の乗車券、特急券、出札補充券
新富士駅には入換用の引き上げ線もありますが、有効長が短いため、ほとんど本線を利用していました。そのため本線列車が走っていない時間を利用して入換を行います。作業は、助役さんのほか、旗振りの操車係が一人、貨車間のブレーキホースを切ったり付けたり連結器をはずしたりする構内係(詳しい仕事の内容は次回)が4人、そして構内の西方と東方にそれぞれ配置された転轍係がグループを組んで行います。操車係1人と構内係4人でチームを組むことを「1操4連(いっそうよんれん)」と呼んでいました。駅本屋内では、信号制御盤を扱う信号係がモーターの付いた分岐器を操作します。
入換は小運転でやってきたDE10が大楽毛方の本線に引き上げて始まります。まず、最後部の緩急車を9番線に向けて突放します。緩急車には構内係が乗り、手回しのブレーキをかけながら9番線の石油類が入ったタンク車に連結します。DE10に連結したままの残った空のタンク車は、7番線か8番線に突放、もしくはDE10がそのまま押し込みます。突放の場合は構内係が乗り、タンク車に付いた手回しブレーキを操作して所定の位置に止めます。しばらくすると釧路開発埠頭のディーゼル機関車が空タンク車を引き上げ、西港の石油タンク群に連れていきます。
※突放(とっぽう)
貨車の入換の際に使う言葉。機関車が貨車を推進して、ブレーキをかけると、あらかじめ連結器を解放しておいたところから先の貨車がそのまま惰性で走り、構内係などが手ブレーキを操作して所定の位置に停車、もしくは、ほかの貨車と連結させることです。
※押し込み
機関車が数両の貨車を推進運転で所定の位置に停車させることです。
十條製紙釧路工場からのワム80000(1982年撮影)
単機になったDE10は9番線に進み、緩急車を先頭にした石油類の入ったタンク車と連結します。タンク車は20両前後で、すべての車両のブレーキが緩解(かんかい=空気ブレーキを緩めること)していることを確認します。そしてDE10に近い前側の5両程度のところで、空気ブレーキのコックを閉めます。この作業で、機関士がブレーキ操作をして制動がかかるのは、DE10、緩急車、タンク車5両で、その後ろの15両のタンク車は、空気ブレーキがかかりません。
なぜそのようなことをするのでしょうか?結論は作業時間の短縮です。貨車の空気ブレーキは、いったんかかると緩解するのに時間がかかります。まして20両となると、それなりの時間がかかります。これからDE10は大楽毛方の本線に引き上げ、後ろの車両から行先別に振り分ける突放作業があります。その前に、切り離す車両の間にあるブレーキホースを切らないといけないのですが、全車両がブレーキホースでつながっていると、すべて緩解したのを確認して切る必要があり、待っている時間が無駄です。ところがブレーキホースが5両目くらいまでつながり、残りのタンク車が緩解状態ですと、停車してすぐに突放するタンク車のブレーキホースを切ることができます。
新富士駅発行の手荷物、小荷物切符
本来、貨車のブレーキをすべて緩解状態で、機関車だけのブレーキで入換を行うと最も効率がよいのですが、なにせ相手は石油類を満タンにしたタンク車で、1両でも50トンある車両です。こんな重たいタンク車20両近くを単弁(機関車だけのブレーキ)で止めようとしても、なかなか停車しません。そこで、機関車に近い5両程度のタンク車だけ空気ブレーキを作動させることで、編成全体のブレーキ効果が高まるだけではなく、突放する前準備(ブレーキホース切り)にかかる時間を短縮できます。なかなかうまく言葉で表現ができないのですが、要するに入換は本線を占有していることもあり、できるだけ効率よく、短時間に組成づくりを済ませる術だと思っていください。この作業を午前1回、午後から2回行います。「その2」は、構内係として貨車を扱っていた体験を中心にお伝えします。
※次回は2月5日ころ更新します。
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