テツ男社長のたわごと

国鉄釧路工場(その2)

 前回に引き続きまして釧路新聞社に残る国鉄釧路工場関係の写真をご紹介します。

 1949年11月には機構改革により釧路鉄道管理局釧路工機部を改称、翌1950年1月、釧路鉄道管理局釧路工場に戻りました。

 1973年9月、釧路鉄道管理局の現業機関となり釧路車両管理所、1985年3月に組織改正により釧路車両所と改称します。国鉄の分割民営化により1987年4月、北海道旅客鉄道株式会社釧路車両所となりました。

 1996年5月、釧路車両所は幸町から喜多町に移転、既存の釧路運輸所と統合し釧路運輸車両所が発足、現在に続いています。

 私は小学校3年(1969年)まで釧路市浪花町に住んでいました。国鉄釧路工場の正門まで歩いて2~3分でした。通学路になっていて、毎朝、羨望のまなざしで工場を見ていたことを記憶しています。

 

釧路鉄道管理局の車両の面倒を見てきた国鉄釧路工場(1972年 保存されているのはキハ07?)

 

国鉄釧路工場の全景(1981年)

 

倉庫代わりとして貨車を売り出していたころ(1983年)

 

車扱いと言われる貨物列車の大幅削減により必要のなくなった貨車は解体(1984年)

 

旧型客車は釧路市内の銭湯に売られ、しばらくレストランとして活用(1986年)

 

青函トンネルの開通にともない快速「海峡」用に改造されるオハ50系客車(1987年)

 

国鉄釧路工場は子供たちの見学コースとして人気。私もその一人(撮影年月日不明)

 

「誇る技術の 伝統に」国鉄釧路工場歌

※次回は8月5日ころ更新します。


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