カムイモシリ

カムイモシリ 第三回

和田山 明彦 作(釧路管内標茶町在住)

 釧路林業の中では、昼近くになっても、柴田からの別の仕事という依頼内容が話題になることはなかった。柴田は赤嶺のヒグマの知識に興味を引いた。赤嶺は柴田の要望に応えて、ヒグマについての蘊蓄(うんちく)を披露する羽目になっていた。

 ヒグマの主食は植物だ。人間には毒とされる水芭蕉などをよく好んで食べる話は有名だ。山菜などは人間の採取と競合する。その次に多いのがドングリや山ブドウなどの木の実などだ。冬籠り前にサケを取る映像をよく見るが、動物性の食事は全体から見ると少ない。春先など植物が不足する時期や夏場の好物が少ない時に、海岸で岩を転がし、下に潜んでる海老やカニを取る風景を見かけるが、あくまで、好物の植物が実るまでの場繋ぎでしかない。

 身近にいる野性のヒグマについて、多くの人は知識が薄いことを自覚させられる。近くの山に住みついていても、目撃する機会はほとんどない。柴田は赤嶺のヒグマについての知識を、目を丸くして聞いていた。

 山の状況などを交え、午前中は敏子にとって興味の引く話題は浮かび上がってこない。赤嶺のフリーランスという第二の仕事に関する話題が出てくる気配は無くなっていた。

 赤嶺は普段、話の聞き手に回っているだけだった。返す言葉も、一言二言で済ませる。しかし、今日は柴田の誘導で話の主導を持たされた。敏子は、当初、赤嶺の話し声を新鮮な印象をもって聞き入っていたが、側耳(そばみみ)を立てることをいつしか止めて、自分の仕事に打ち込むことにした。男同士の他愛のない話には興味を引かない。

 雨の中、柴田は自分の車に赤嶺を招いて、近くの蕎麦屋に行った。店は昼時とあってサラリーマンで混みあっている。しかし、並ぶこともなく、かろうじて席を確保し、二人ともセットメニューを頼んだ。柴田は話を切り出した。もう一つ、別の気になっている話題について・・・。

 「気が付いただろう? 古関君は君のことを気に入っている。確か、君は独り身だな? もう子供達は自立したんだろう? そろそろいいんじゃないか?」

 からかうように話し始めた柴田に、赤嶺は、恥ずかしそうに笑顔を作るだけだ。確かに、敏子はスレンダーで目鼻立ちのくっきりした美しい女性だ。以前から美しい女性として赤嶺も好感を持ってはいたが、客観的な見方としてのことだった。柴田は敏子の生い立ちを話し始めた。

 「実はな・・・、古関君は、高卒でここに入ったから、俺はその時からの付き合いだ。綺麗(きれい)な人だったから、言い寄る人は大勢いたようだけれど、あれで、かなりの堅物だ。二十七才を過ぎても独身を通していたから、親に無理やり見合いをさせられそうになり、慌てて結婚する羽目になったと言っていた」注文のセットメニューがきた。柴田は話好きだ。箸を進めながらも話を止めようとしない。「しかし、すぐに子供ができて喜んだ途端、旦那の浮気だ。彼女のあの性格なら、絶対に許さないだろう?」

 同意を求められたが、一人の女性として気になる存在であることは確かだが、敏子の私生活をほじくる趣味の無い赤嶺は、黙々と蕎麦を啜(すす)るだけだ。

 「古関君はいくつになるかな? 娘は高校二年生だから十七才か? そうかぁ、もう四十代半ばか・・・。見えないな? 十才以上若く見える」知っていたことだが、赤嶺に確認させるため、あえて、歳を数える素振りをした。「どうだ? 考えてみなよ。応援するよ」

 赤嶺は閉口した。一人で安らかな日々を送っている。還暦を過ぎて、毎日の時間の移ろいがようやく自分の物だけになったような充実感を得ていた。敏子は素敵な女性だが、その充実した日々に敏子が入り込むには歳の差が・・・。

 食事が終わり、会社に戻ると、柴田は赤嶺を応接室に案内した。応接室と言っても、衝立で仕切られた一画に応接セットが置かれただけだ。

 柴田は、机からファイルを持ち出し、赤嶺の前に置いた。敏子は耳をそばだてた。

 「うちの会社が十勝にある会社と合併したことは知っているだろう? 赤嶺さんがまだ定年前だったからね。実は今度、それに加えて、根室にある民事再生手続きに入った製材会社を支援することになった。支援と言っても、銀行が立てた筋書きに沿ってのことだが・・・。すべて丸く収まると出された条件の一つが、ITの導入なんだ。社長は今、そのプログラムをどこに依頼すればいいのか悩んでいる。まったく伝手が無くてね。そこで、東京でプログラマーだった赤嶺さんの登場ということだ。今もフリーでやってるんだろう?」

 赤嶺は、書面を精査した。独り言を言うように言葉に出した。

 「これなら、今までのやり方を工夫するだけで十分じゃないかな? 十勝の時と同じ雛型にするだけではだめなのかな? そうか、問題は製材会社ですか? 業務内容は全く違いますからね。共有する帳簿管理にということは・・・? それでも、既製品で十分じゃないですか?」

 柴田は言った。

 「既製品はすでに試したよ。銀行から借りてね。でも、パソコンを扱う人間を考えてくれ。みんな、おじさんやおばさんだ。ここだけではないよ。十勝も、根室も同じだ。慣れないソフトにみんな戸惑うことになってしまった」

 二人の話を、驚きを持って盗み聞きしていた敏子が割って入って来た。

 「あれは駄目ですよ。専門用語は多いし、業種が違う部署も同じ要領でこなさなければならないとなると、一から勉強し直さなければならない」
 柴田は、敏子の言葉に加えて言った。

 「既製品は、簿記や、製造管理、販売など専門知識を学んできた若い人には普通のことかもしれない。でも俺達は自社だけの経験を積んでこの状態を良しとした。うちだけではないよ、十勝や根室の事務員もそうだ」一服お茶を啜り、話を続けた。「かといって、製材会社が民事再生の指摘を受けた原因もそこにある。銀行に言わせると、帳簿は会計士任せで、どんぶり勘定みたいなものだったそうだ。全体として、その辺の改良をしなければならないということだ。赤嶺さんに、フリーランスのプログラマーとしてお願いしようと思う。何とかならないだろうか?」

 赤嶺にとってはたやすいことだ。分かりやすい言葉と構図を使い、誰にでも扱えるプログラムを組み立てるのを得意としていた。

 「分かりました。やりましょう。ただ、根室の帳簿なども必要ですね。ここにあるだけでは分からない。すべてのパソコンでデータを共有できるようにするには・・・。中心事務はここでいいですね? ここに、新たにサーバーも設置したほうがいいかな? その設定もやりましょう」

 柴田は、安堵の様子を大袈裟なほど見せた。

 「ありがとう、助かるよ。早速、社長に伝える。ただ、根室の書類は、今はまだ管財人のところにある。赤嶺さんのことを伝えて、管財人や、銀行が精査し終わった分から君の所に持って行く」しばし考え、ある魂胆を思い付いた。「古関さんに持って行ってもらおう。いいだろう?」我ながらいい考えだと柴田は自己満足に浸り、敏子に向かって言った。

 敏子は、赤嶺の私生活を知らない。今回、赤嶺の秘密の一端を知ることができた。しかも、プログラマーという想像もできない仕事をフリーランスと言う立場でこなしている。驚きと憧れから、赤嶺に対する好意を思わず態度に表わしてしまった。

 「喜んで引き受けます!」

 赤嶺は、戸惑いを感じた。決して迷惑という意味ではない。敏子のはつらつとした返事を聞いて、むしろ喜びとときめきを感じた。その心模様に我ながら驚いてしまった。

 敏子は、元妻には無い底抜けな明るさを持っている。しっかりと良識をわきまえた天真爛漫な姿を、柴田の話を聞いた今、意識せざるを得ない。しかし、年齢の差は躊躇する動機としては十分な理由となる。

続く(次回更新:9月22日火曜日)


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