カムイモシリ

カムイモシリ 第四回

和田山 明彦 作(釧路管内標茶町在住)

 一九六九年。県内有数の進学校に進学した赤嶺は、入学早々、大きな不安要素が発生していた。それは入試の科目別の成績に由来する。

 赤嶺は、中学時代、圧倒的に文系の成績に優れていた。幼い頃から読書の習慣を身に付けていた赤嶺は、特に意識はしていなかったのだが、中学の先生方から、難しい文章の解釈や、日本史や世界史に関しても、歴史背景の解釈など、優れた赤嶺の感性に期待を示してくれていた。しかし、肝心の入学試験での成績は得意とされた文系の科目が散々だった。かろうじて、数学など理系科目の点数で入学できたほどだ。

 赤嶺はここでも逃げ道を模索した。失敗を跳ね返す気力を奮い立たせることは思い浮かばない。入学の力となった理系の科目に集中力を集める決心をした。元々、自分の興味から科目を選んでいたつもりはない。たまたま、文系の成績が良かっただけだと自分なりに解釈した。しかし、進学校に集う仲間はより高い目標に向かう努力をしている。自分は不得手だった理系を0から始めなければならない。必然的に、学業での優越感は捨て去った。

 高校に入り衝撃を受けた環境は、学業に関することだけではない。それは、春の陸上大会で明らかになった。赤嶺は、中学時代、短距離や跳躍競技で地区の中学記録を塗り替えてきた。人並み外れた体格がさほど努力なしに可能としたことだったのだろう。しかし、高校に入る頃には身長の伸びは止まり。ライバル達の身体の成長と共に成績の差は縮み始めた。そして、高校入学後、初めての地区大会で敗北を味わった。古くから赤嶺を知る友人たちは、赤嶺に対して冷やかすように、且つ、友情を込めて言った。

「お前の身体は、早生系なんだな?」

 赤嶺は思った。早生ということは、食べごろや傷むのもみんなより早い。

 高校では、際立つ存在になり得ない現実に突き当たった。諦めたわけではない。思春期真っ最中の赤嶺は、どの友人達とも同様の思考に耽(ふけ)り、自慢の種を発揮する機会を漁っていた。スポーツに関しても、これからの努力が一番大事だと顧問も友人達も声をそろえる。努力は惜しむなと・・・。努力の量と結果は比例するという理屈は十分承知していた。しかし、赤嶺は努力を惜しまない姿勢自体が才能だとも理解していた。

 赤嶺は、足が速いのも運動神経が良いのも才能に基づくものではなく、身体的にみんなより成長がワンテンポ早かっただけだとの理由付けに落ち着いてしまった。ただ、逃げ出すことはプライドが許さない。辛い葛藤が生まれた。

 夏休みは、自分の感覚ではとりあえずということか?一生懸命練習に励む姿を一応見せていた。身体は辛くなかったが、気持ちが付いていかない。高校生になり、まだ、五ヶ月しか経っていない。新入生が新しい環境で勉学や運動の成績に悩むのは当たり前のことだが、赤嶺にしてみれば、目立たぬ存在に陥ることが考えていたより辛かった。

 二学期が始まってすぐの体育の授業時間、教育実習の先生のもと、サッカーに興じていた。赤嶺は、クラスという小さな単位では、未だに先頭に立つ活躍を示していた。ドリブルで相手のペナルティーエリアに入り込んだとき、ディフェンスのスライディングに見舞われた。左足に妙な違和感を覚えた。痛みは薄い。ただ、動きが取れない。見る間に腫れあがってきた。

 赤嶺は友達に肩を借り、保険室に向かった。強い痛みが伴わないせいか保健室ではシップを貼るだけだ。念のため、病院に向かうことにした。結果は、骨折と脱臼だった。

 体育の時間、しかも、正規の教員は不在で、実習に入っている大学生の指導だけという状況は、かなりの責任問題として取りざたされたようだ。

 陸上部の顧問は、将来、陸上部を支えることになる赤嶺の致命的な負傷に、落胆の色を隠そうとしなかった。しかも、親は学校の指導方針に抗議するより、赤嶺の不注意を詫びる方に力量を置いた。そして、赤嶺は、むしろ、安堵した。学校の授業の中という格好のシチュエーションのもと、致命的な怪我を負った。陸上競技において、将来の果たし得ぬ期待というプレッシャーから合法的に立ち去ることができるということで・・・。

 赤嶺は、病院のベッドの上で新たな立ち位置を模索した。自分は運が良いとさえ感じた。生活の中で挫折を迎え、悲嘆にくれる姿を見せることなく立ち位置を変えられる。

 クラスメイトは―特に女子は―赤嶺の無残な運命に同情した。今後、ハンサムで爽やかに運動する姿に憧れを交えて注目し、運動で汗を拭く赤嶺の姿を見ることができない。悲しみを持って同情してくれる。もちろん、赤嶺自身の独善的な感想としてだが・・・。

 もしも、赤嶺に陸上競技に対する情熱が有れば、手術をして、形成処置を取れば以前のように走り回ることができたかもしれない。医者からも可能性を伝えられていた。しかし、赤嶺にその気持ちはサラサラ無い。むしろ、辛い葛藤から逃れる喜びが勝った。問題は、次なる立ち位置だ。抽斗(ひきだし)はまだある。ギターだ。

 赤嶺はすぐに退院させられた。当時は、固定の作業が上手くいけばと言う条件はあるが、若い人はさほど入院させない。松葉杖での登校が始まった。一年の教室は三階になる。登りは松葉杖でも問題なく上がれる。しかし、下降は辛い。松葉杖を使おうとすれば、前屈みがきつくなり、転がりそうになりながら降りなければならない。時々、痛めた足を床に突いてしまう。友人たちは、そのような赤嶺を積極的に介添えしてくれた。

 下校時間、課外活動のない赤嶺はすぐに帰宅する。公傷ということで、タクシーを使うことができた。松葉杖でも楽に通学することができる。

 階段の所に友人の杉本隆司が待っていた。

 「今日は、俺が手伝う番だよ」

 もちろん、そんな取り決めは無い。誰もいないときは、苦労して荷物を抱え込み、ケンケンしながら降りて行くことにしている。一気に一階までとはいかないが、別に苦にしていない。

 階段を降りながら杉本は言った。

 「赤嶺さぁ、お前、ギターを弾けるらしいな? 赤嶺と同じ中学校の奴から聞いたよ。俺なぁ、バンドやってるんだけど、ギターがいまいちでさあぁ。もう一本あれば形になるかなぁと思って・・・。どうだ? 手伝ってくれるか?」

 赤嶺は杉本がバンドをやっていることは知っていた。ジャンルは分からない。所詮、最近流行りのニューミュージックとやらだろう。しかし、中学校の友人とは誰だろう? 赤嶺は言った。

 「俺はクラッシックだから楽譜が有れば手伝えるよ。でも、エレキだろう? 俺は持っていないよ」

 杉本は顔を輝かせた。

 「ギターは俺が持っている。俺はドラム担当だから空いているよ。もう一人のギターはコードを鳴らすのがやっとだ。リードギターがいないんだ」

 「まず、音を聞かせてくれ。やれるかどうかは、それからということで・・・」

 赤嶺は目を光らせた。立ち位置を見つけたと思った。しかし、流行りの音楽を聞いたことがない。二日後の土曜日に杉本の家に行くことになった。

 杉本の家は農家だ。学校からは、かなり離れているので、自転車とバスで通学している。杉本の父親が車で迎えに来た。父親が言った。

 「赤嶺君はギターが上手なんだって?」

 同乗していた杉本が答えた。

 「彼は楽譜が読めるんだよ。ということは、何でもこなせるということだろう?」

 赤嶺は慌てて否定した。

 「楽譜が読めても、苦手な曲は無理だよ。特にロックみたいにアドリブ中心のやつは、耳で何度も聞いて、真似を繰り返し、自分のものにするっていうぜ」

 「真似て学ぶということか? そんなにかしこまらなくていいよ。みんな、適当だから」

 メンバーは、ドラムとベース、それと、キーボードがいる。俺が入れば五人か。キーボードの担当が誰だかわからない。杉本に聞いた。

 「ベースとギターは知ってるけれど、キーボードは誰だ?」

 杉本が答えた。

 「俺の姉貴の後輩で・・・。お前と同じ中学校出身だ。姉貴と俺は年子だから、俺達と同い年の女の子ということだよ。隣の女子高一年の子で、めちゃくちゃ可愛いいよ。家が厳しくて門限がある。いつか、アタックしようと思っているけど、彼女の家は厳しいからな。だから、一緒に練習できるのは土日の日中だけだ。知ってるよな? 矢草典子って言うんだ」

 赤嶺は驚いた。あの矢草典子に巡り合うとは・・・。彼女からギターを弾けると聞いていたみたいだ。それにも増して、キーボードを弾けるという。なるほど、あの日、レコード店から出てきたことを驚いていたはずだ。自分も馴染にしていた店だったからだ。

 プレッシャーを感じた。また、悪い癖だ。杉本の話によると、幼い頃からピアノを弾いていたそうだ。彼女も当然楽譜が読めるはずだ。しかも、ピアノの初見はすさまじい。ギターは雰囲気でごまかすことができるかもしれないが、彼女には簡単に見破られてしまうだろう。

 いつもの逃げ出したくなる思いに駆られた。再会しても、中学校の延長の感覚でしか彼女とは付き合えないだろう。しかし、万が一ということもある。あの時約束したギターの腕前を見せれば、もしやということもあり得る。

 不安と期待に複雑な気持ちになった。杉本に聞いた。

 「彼女とは、小学六年の時、俺が転校した時からクラスが一緒だったよ。でも、彼女がピアノを弾くとは知らなかったなぁ。いつからバンドに入った?」

 「夏休みに入って、姉貴が連れて来た。部活の後輩だって。ブラスバンドの・・・。今日も昼前に姉貴が連れて来ている」

 赤嶺が典子と小学校の時からこの春まで一緒だったということを知って、杉本は少し動揺したようだ。

 典子は離れた所にいても煌(きらめ)くようなオーラを発する。しかも、中学を卒業する頃まで歳を重ねると、大人びた美しさが際立ってきたように感じる。誰でも意識するのが当たり前だ。しかし、今のところ、俺の方に分があると赤嶺は思った。

 練習場所は杉本の家の倉庫だ。ここなら大きな音も大丈夫だろう。しかし、楽器の音は聞こえない。近付くと、笑い声が聞こえてきた。お姉さんも居るようだ。それに、聞きなれた典子の声も・・・。

 杉本は倉庫の扉を開け、中に入って行った。赤嶺は典子の存在に一瞬躊躇したが、意を決し、後に続いた。

 「赤嶺君! 待っていたのよ」

 典子は、あの時の気まずい瞬間を忘れた如く明るく話し掛けてきた。救われた。赤嶺は何気に言った。

 「久しぶり。元気だったかい?」

 「ええ、部活が忙しかった。赤嶺君は?」

 「僕も夏休みは部活漬けの毎日だったよ。でも、このざまだよ」

 赤嶺は、松葉づえを見せ付けるように言った。典子は、悲しそうに、思いやりにあふれた表情で言った。

 「足を折ったんですってね? 大丈夫?」

 メンバーは赤嶺と典子の会話のようすに驚いていた。杉本が言った。

 「小学校からずっと一緒だったんだって」

 みんなの嫉妬心が伝わってきた。心地よい瞬間だ。

 杉本は話を区切るように言った。やはり、リーダーは杉本のようだ。

 「さあぁ、早速始めよう」

 赤嶺は、慌てて言った。

 「まず、聞かせてくれよ。どんな曲をやるのか分からないんだぞ。それに、楽譜はあるか?」

 典子が譜面を持って来た。

 「この曲よ。これは、ピアノ用のアレンジ譜面だけれど、私はこれを原曲に近付くように書き直したの」

 杉本も、対抗するように本を持って来た。

 「これが、ギター用の譜面だよ」

 ボーカルの譜面にコード名があるだけだ。テンポも分からず、リードギターと言ってたけれど、その辺も謎のままだった。歌のメロディーは何とかつかめそうだ。けれど、まさかそれをなぞるだけのはずはない。

 「コードだけでは、分からないな。全然知らない曲だよ!」

 みんなは驚いた。典子も驚いた。

 「この曲知らないの? このグループすごく売れてるのよ。この曲がヒットして」

 リードギター無しで演奏してくれた。典子のキーボードは上手かった。でも、キーボードの独奏で聞きたかった。ベースもドラムも、とりあえず曲をなぞっている。でも、キーボードのリードが効いている。

 ボーカルは、余程好きなアーティストなのだろう、杉本が気分を乗せて歌っている。なんとか様になっている。譜面を見ながら聞いてみたが、やはり、聞いたことがない。原曲を聞きたかった。どうやら、バラードのようだが・・・。素人はハイテンポな曲の方が誤魔化せるのにと思った。

 その日、赤嶺は結局ギターを弾くことは無かった。せいぜい、初心者のサイドギター担当にコードの正しい押さえ方を伝授し、ベースの指使いを指導した程度だ。後は、雑談に花を咲かせ、結局練習にはならなかった。

 バスで帰る典子は、早めに杉本の家を出た。そうなれば、余計に練習にならない。今、人気があるアーティストの話題に夢中になっていた。でも、赤嶺が知らないアーティストばかりだ。

 場所を変え、レコードを聞かせてもらった。経験のないブルージーな演奏方法がリードギターの見せ場のようだ。あのようなビブラートを効かせる奏法はクラッシックには無い。でも、曲には感動させられた。みんなが夢中になるのは当然だと思った。アンプから外されたギターを曲に合わせて弾いてみた。でも、クラッシックで覚えた基本がまるで通じない。ショックを受けた。

 しばらくの間、赤嶺は、そのまま杉本に付き合っていいものか思案していた。みんなからは、赤嶺が典子と親しい状況を見て情熱が薄らいだのか、練習の誘いが来ない。赤嶺は杉本に言った。

 「練習はどうした? 誘いが来ないけれど?」

 「メンバーが揃わない。とりあえず、個々で練習ということになった」

 赤嶺は、バンドのレベルの低さを指摘していた。ベースとサイドギターの技術だったが、かえってやる気を無くすことになったのかもしれない。杉本に言った。

 「かえって、申し訳なかったかな? あれこれと、指の運びから教えようとしたから、嫌になったのかな?」

 「そんなことないよ。みんな、興味を持って習っていただろう? 要するに、お前から教えてもらったことをマスターしてからということだろう?」

 その後、バンドの話は消えてしまった。赤嶺は当然だろうと思った。要するに、典子と会うことが目的だったのだ。その典子が赤嶺と親しく話す姿を見れば、入り込む余地を見出せない。自分と典子の交際を助けるだけみたいで、しらけるのが当たり前だ。

 その後も、他のバンドの誘いを受けたが、ジャンルが赤嶺の好みと合わない。ただ、みんなとの話に合わせるために、赤嶺は、洋楽の世界にのめり込んだ。邦楽より、グレードが高いという独善的なイメージが赤嶺にはあった。まったく根拠は無いが・・・。カセットテープに、ビートルズやローリングストーンズ、レッドツェッペリン、クリームなどの曲を録音して、ギターを抱えながら繰り返し聞いていた。

 赤嶺の趣味は、邦楽のニューミュージックに浸透している友人達に受け入れ難く、バンドへの誘いも次第になくなってきた。


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