カムイモシリ

カムイモシリ 第十回

和田山 明彦 作(釧路管内標茶町在住)

 一九九六年。決断の年となった。

 赤嶺は、ストレスによる意識障害という病気はストレスの除去が唯一の治療方法だと諭され、退院すると、すぐに退職願いを提出した。会社には閑職に属する赤嶺を慰留する理由はない。社交的に残念だとの言葉はあったが、事務的に退職手続きを済ませ、早々に、釧路の林業研修センターに向かった。

 春に入所すると落ち着く間も無く、矢野から、プログラミングの依頼が殺到した。毎日が、目まぐるしく過ぎて行く。昼間は、山に入り、夕食もそこそこにパソコンに向かう日々が続いた。しかし、バブルの時のように、仕事に追われる感覚は無い。睡眠時間は、さほど変わらないが、どこか、当時の懐かしさを感じながらも、疲労感は無かった。

 もう初夏と言ってもいい頃合いだが、日の当たらない谷間には、まだ、残雪が残っている。その光景にも驚かされたが、山の空気が赤嶺の心を常にリセットしてくれているようだ。毎日が爽快だった。

 研修センターに入った同期の中では、四十代は赤嶺だけだった。ほとんどが高卒で、林業の会社に就職した後、実務に対応するために公的機関である研修センターに入っていた。

 三十代も二名いたが、彼等も転職組だ。バブル崩壊後の不況の時期とは言え、林業に従事しようとする者は少ない。赤嶺は、実習で世話になった白糠町の山根造林から、猛烈に就職の誘いを受けていた。

 しばらくの間、研修を通して山の生活に身体を慣らしていたが、生活リズムをつかんだ頃、赤嶺は住まいとなるログハウスを建てることにした。

 ある日、午後から雨となり、実習先の会社に戻った赤嶺は、山根造林の社長、山根に相談した。

 「社長、私はこの近辺に家を建て、骨を埋めるつもりでいるのですが、どこか良い土地を紹介してくれませんか? できたら、釧路湿原を見渡せるところがいいですね」

 「赤嶺さんは、結婚していたね? 家族を呼ぶのかね?」

 「いいえ、妻は看護師をしていて、辞めるつもりは無いようです。子供達も、上が中学生になるのが間近で、転校はしたくないだろうし、単身赴任というところですね。ですから、家族は、遊びに来た時に泊まれればいいだけです。憧れのログハウスを建てようと思います」

 山根は、しばし、考えて言った。

 「鶴居村にも湿原の脇に自然を活用した別荘地があるが・・・。湿原を見下ろすということではないが、塘路湖畔に土地を持っている人を紹介しようか? 郵便局員だが、馬を飼ったり、写真を撮ったり、猟をしたり、のんびり生活している。元々、農家の息子で、その土地も相続したけれど、持て余しているとボヤいていたなぁ。電話しとくから、今度行ってみろや」

 山根は、以前から、その人の山を整備してきたと言っていた。先代からの付き合いだ。赤嶺は、日曜日の休みを利用して、早速、塘路に向かった。地主は安住与一郎という。
 
 安住は、二つ返事で、塘路湖を見渡すことができる土地を譲ってくれた。市街地からは少し離れているが、馬の放牧地のはずれで、その横は、隣の農家の牧草地が広がっている。背後は安住の山で、ミズナラの林が小高い丘の頂上まで続いている。予想以上に素晴らしい立地条件だった。

 ログハウスは、カナダから専用のログを輸入する本格的な物にする。こればかりは国産という訳にはいかない。長い年月、風雨や低温にさらされるログは、カナダ産のウェスタンレッドシーダーに限る。業者も中標津の専門業者に決めていた。一般の木造住宅に比べると、五割ほど高価になるが、矢野からの仕事のおかげで、仕事を少しセーブしても、十分に支払えそうだ。

 赤嶺は、初めて、自分の人生を構築する喜びに触れていた。就職の時も、教授の口利きですんなりと決まり、実感を得る間も無くモニターに縛り付けられた。結婚の時も、子供達が生まれた時も、ゼネコンの情報処理室は、休みも無く、家庭を振り返る時間さえ得るゆとりが無かった。

 安住は土地を案内しながら言った。

 「家は、道路から少し奥まった所がいいな? 交通量は多くないが、車の音に驚かされるのも雰囲気が悪い。土地は、適当に広く取れ。この一画だけで千坪以上あるぞ。裏の林も庭として利用していい。周りは放牧に使っている草地だから、隣の牛や、俺の馬の方がうるさいかもな」

 湖を見下ろす広大な敷地に、ログハウスが建つ風景を思い浮かべていると、男が一人、軽トラに乗りやって来た。

 「ヨイッサン、どうした? 何やっている?」

 「おうっ、良い所に来た。紹介するよ。今度、お隣さんになる赤嶺さんだ。こっちは、隣で牛飼いをやってる庄司だ」

 赤嶺は握手を求め言った。

 「よろしくお願いします」安住は与一郎という名だ。それでヨイッサンと呼ばれていることを知った。「すごく広い土地ですね。隣と言っても、三〇〇m以上は離れてる」

 庄司は言った。

 「この程度で広いということは、内地から来たのか?」

 北海道に住む和人のほとんどは、明治以降に移住してきた人達だ。特に、ここ道東は、明治になってから屯田兵などで、日本各地から開拓に入った人達か、戦後の混乱の中、移住してきた開拓者が多い。彼等は、北海道に来る前の出身地を思い浮かべ、津軽海峡以南を内地と呼んでいる。

 安住は庄司に教えた。

 「赤嶺さんは、この春まで東京でコンピューターを扱っていたんだと。お前とは出来が違うぞ。今度は、どういう心境か、林業をやるそうだ。まあ、仲良く頼むぞ」

 その後、安住と共に庄司の家に招待された。庄司は搾乳で生計を立てている。子供は、酪農大学に通う息子と、農協に勤めている娘がいるらしい。酪農実習生が二人いるため、牧草収穫前のこの時期は、時間に余裕があるということだ。搾乳時間が間近になっても、安住との会話を終わらそうとしない。

 庄司の牛舎は、フリーストール方式の搾乳システムを取っていた。赤嶺には始めて見る光景だ。牛は行儀よく搾乳機械が並ぶパーラーに入ってくる。人間は、一段下がったスペースで乳房をきれいにし、ミルカーを装着するだけだ。絞り終わると自動で外れている。どこか、工場のような景色に赤嶺は面食らった。。

 安住は庄司にいった。

 「牧草も機械まかせで、搾乳もロボット化が進んでいる。お前も暇になってきたな。体が鈍ってしょうがないだろう?」

 「息子が帰ってきたら、牧草の仕事も奪われて、余計暇になるよ。そうなったら、旅行と鹿撃ちに精を出すさ。いいか、鹿肉は、絶対に売れるようになる。ちゃんと処理をしたら、あんなにうまい肉はない。その事業でも始めるかな。赤嶺さんも猟をやってみなよ。山の仕事に憧れて来たんだろう? そしたら、猟をしながら山に親しむのもいいもんだぞ。ここに、猟友会会長も居ることだし」

 安住を指して赤嶺に話を振って来た。赤嶺が途方に暮れていると、安住が言った。

 「まずは、生活が落ち着いてからの話だ」

 赤嶺は、この日、安住と庄司という二人の人物を知ることができた。四十才過ぎて、新たな生活を始めるにあたり、研修センターの先生方や、山根造林の社長、そして、安住と庄司、素晴らしい人達と巡り合うことができたと、自らの幸運を喜んだ。庄司は話好きだ。安住は聞き役に徹している。返事をしても、話し終える前に、庄司は話をかぶせてくる。しかし、嫌みが無い。根が明るいからなせる業だ。

 赤嶺も家族のことをすべて打ち明ける羽目になった。庄司には秘密を開けさせる特技があるのか? また、赤嶺に猟の話を持ち掛けた。

 「猟友会も、高齢化が進んで困ったもんだ。俺とヨイッサンが若手だぜぇ。その次が続かない。クマの駆除要請が来ても会員のみんなはヨボヨボだ。仕事の都合もあるだろうが、考えてくれよ。鹿も最近は増えすぎて、山が荒れてきている。赤嶺さんの仕事にも通じるだろう?・・・」

 話が終わらない。音別まで帰らなければならないが・・・。安住はにこにこしながら話を聞いている。しかし、鹿を撃つという行為に抵抗を感じた。自然を冒涜(ぼうとく)するような気がする。それにしても、鹿と山が荒れているということが、どのように関係しているのだろう? 答えは、庄司の家からの帰路、安住の言葉で理解できた。 

 天敵がいなくなった鹿は、牧草や土木工事の法面に張る芝などで栄養状態が良くなり、出生率が上がったということだ。そのため、冬の餌が不足して、飢えを満たすため、木の皮を剥ぎ、木その物を痛める。その状況は、仕事に就けば、すぐに目にすることができるという。

 赤嶺は、これから塘路で生きる上で、安住を師匠とすることにした。庄司は、明るい隣人として、子供達が遊びに来たら、いち早く紹介することにした。あのような性格なら、すぐに打ち解けてくれるだろう。

 ログハウスは、土台を作ると、あっという間に外観が出来上がった。現場では組み立てるだけだ。東京からは、めぐみが写真を送ってと催促してくる。組み立ての行程を撮影したかったが、組み立てが早すぎて、仕事の合間にという訳にはいかない。しかも、矢野からの仕事も溜まっている。業者さんにお願いした。写真は、パソコンに随時送られてきた。便利になったもんだ。それにしても、めぐみも興味があるということか? 東京で生まれ育っためぐみは、ログハウスのある自然の風景を漠然と憧れているらしい。しかし、最初から宣言していた。都会の生活しか知らないめぐみにとって、北海道の冬に生きることが想像できないという。雪道を買い物に二十㎞以上車を走らせてという試練が考えられないという。 

 生活は、今まで通り、都心のマンションで・・・。子供の通学も便利だし、習い事も不自由しない。まあ、俺もその方が気楽だ。夏休みに、避暑に来てくれるだけでもいい。
  
 秋になり、研修センターを出る時が来た。再就職先は、引く手数多だ。赤嶺は、給料は安いが実習で世話になった山根造林に世話になることにした。山の仕事は秋から冬が本番だ。矢野には無理を言って、その時期の仕事を減らしてもらった。とは言え、プログラムの改造については、受けざるを得ない。パソコンは世代を選ばず普及してきた。事務仕事はパソコンがなければ始まらない。 

 各会社から、年齢に関係なく、分かりやすくという依頼が殺到しているらしい。しかし、新規の複雑で時間の掛かるプログラムは断ることにする。

 半年の研修を終え、ログハウスも完成し、塘路から白糠への出社が始まった。山根造林は作業員十二名、事務員一名の小さな会社だ。山根は還暦を過ぎても仕事がやめられないとボヤいてる。

 山の仕事は、国の政策に左右される。最初から自由競争は成り立たない。外国の輸入材には価格で対抗できない。しかし、山が荒れるのは、環境に直結する。養殖漁業にも関係するらしい。仕事はなくならない。しかし、過酷な仕事内容と賃金の安さから、人が集まらず、新規に起業する所は皆無だ。カナダ産のログで家を建てた赤嶺は、少し肩身が狭い。

 山根は赤嶺に言った。

 「就職したばかりの赤嶺さんに言うのも変かもしれないが、俺も歳だ。いつ辞めてもいいと思っている。困ったもんだな・・・。この頃は、朝が辛い。夜は早く寝ているが、疲れが取れなくてなぁ・・・」

 山根は現場に出ることを控えているが、赤嶺に会うと、まず、愚痴から言わなければ気が済まないようだ。

 「しかし、心配するなよ、釧路のもっとでかい会社が、社員を含め全部引き受けてくれると言ってる。その社長は、昔、俺が仕込んだ人物でな。今も仕事を回してくれる。あと五年で俺は七十才だ。そのあたりかな、潮時は・・・」

 赤嶺は物静かで温厚な山根が好きだ。仕事はもちろん、山と向き合う姿勢も教えてくれた。山では人間は無力だ。特に、雪が積もれば世界が一変する。当然、装備も冬用に工夫された物に変えられる。同僚は、赤嶺が初めて迎える冬を面白おかしく脅してくる。当然、赤嶺は冬の山を想像することができなかった。仲間の真似をすることに徹するしかない。

 山根は、口癖のように、特に、南国育ちの新人、赤嶺に事あるごとに話しかけた。道具や機械を駆使すれば、山も平地に変えられるが、生身の人間一人では、山の中でいくら工夫しても生き抜くことはできない。そのように進化してしまった。または、退化と言うべきか? だから、最初から諦めて山と向き合わなければならない。仕事に行く前には、必ず肝に銘じれ。準備と計画が大事だ。そこから外れたことをするな。それに、山は人間の物ではない。北海道ではヒグマが支配者だ。
 
 ログハウスの生活は快適だ。木の香りと温もりに、リビングで大の字になり、天井を眺めるのが、帰宅した時のルーティンになった。しかし、十月の中頃になると、暖房に火を点けることから始めなければならない。日中は、日差しを受け、ログハウスはとても暖かいのだが、帰宅するのは日が暮れてからだ。

 赤嶺は、外国製の本格的な鋳物の薪ストーブを用意していた。安住に言わせると、マイナス三十℃になっても、このストーブ一台で、家中温かくなるなるらしい。早速、真新しい薪ストーブに火を点けた。取付業者から聞いた手順で、初めての点火式だ。

 ストーブの窓からの、炎の揺らめきが美しい。まるで優雅なワルツを奏でているような心地よさだ。つい、見惚れていると、今度は暑くなりすぎた。どうも、勝手がつかめない。

 みんなから、雪対策についても散々脅かされていた。赤嶺の家は道路から四十mほど奥まった所にある。小型のホイールローダーを手に入れていた。薪も、山根の配慮で既に一冬分確保できた。それ以上に、庄司をはじめ近所の人達から薪に使えと家の裏に山と積まれている。みんなの温かい気持ちが含まれて、家の中は、より温かで快適な空間を演出していた。

 赤嶺は初めて迎える道東の冬を待ち遠しくさえ感じた。めぐみや子供達は夏に来たがっていたが、ログハウスの完成が間に合わなかった。年越しに新居となるログハウスに来て、久しぶりに家族団欒を迎えることになりそうだ。赤嶺は気付いた。ここには、軽トラしかない。家族用に、四駆のワンボックスを買わなければ・・・。

 山の仕事は雪の季節を前に忙しくなってきた。地面が凍る前に、林道を整備しなくてはならない。雪で痛めそうな苗には雪囲いをしなければ・・・。初めて知る季節の移ろいを、仕事を通じて覚えながら、赤嶺は冬の訪れをわくわくした気持ちで迎えようとしていた。

 週末のある日、赤嶺が仕事から帰ると安住夫婦が車の中で待ち構えていた。赤嶺は言った。

 「鍵は掛けていませんから、勝手に入っていてください。今日はどうしました?」

 「今年初めての鹿肉だ。ご馳走しようと思ってな。鹿肉は初めてだろう? 妻が料理してやるよ」

 庄司が言った旨い鹿肉か? 喜んでいいのか困惑していいのか。食べず嫌いではないけれど、少し不安が先立った。

 「あと、都会育ちの赤ちゃんに冬の心構えを伝授しようと思ってな」

 節子が、台所に立ちながら言った。

 「大袈裟なんだから」赤嶺に言った。「大したことないですよ。水回りさえ気を付ければいいんです」

 安住が続けた。

 「赤ちゃんは・・・。赤嶺だから赤ちゃんでいいな?」取り次ぐ間も無く続けた。「赤ちゃんは、除雪なんて初めてだろう? ホイールローダーがあればいいなんて言うなよ。やはり、手作業も必要になる。いい道具を持ってきてやったぞ。おそらく、東京ならスコップで雪を除けていたと思うが、ここでは役に立たん。サラサラしてるから、スコップより、雪押しの方が効率的だ。まあ、後で見せてやる。それに、水だ。赤ちゃんは、留守がちだから、水は、落としとかなければ凍ってしまうぞ。地面が七十㎝以上も凍ってしまう。やり方も後で教える」

 安住は、赤嶺が東京から来たとして、親切心で接してくれる。当然、テレビなどの情報から北海道の冬の知識は知っていたが、安住の親切心を甘んじて受けることにした。

 節子が綺麗に切りそろえた鹿肉を持って来た。

 「話はあとにして食べましょう」

 すき焼き風にするらしい。見た目は、牛肉より色が濃い。当然サシなども見当たらない。すると安住が言った。

 「いいかぁ、食事中は無言だぞ。特に、今回は山から恵みを頂いたんだ。感謝を込めて頂く。おしゃべりは無礼だぞ。その後は、酒を飲みながら楽しもう」

 赤嶺は下戸だ。東京では、仕事の忙しさから飲み会に行くことは無かった。閑職になると余計に人との付き合いは避けるようになった。酒は安住が持参していた。節子と出かけるときは、いつも好みの酒を用意して来るらしい。少しだけ付き合うとするか。

 鹿肉は、くせも無く、むしろたんぱくな味で非常に美味しかった。高たんぱくで、低カロリーの鹿肉は、東京のレストランでは牛肉よりも高級だ。庄司が言っていた鹿肉の事業化もありだと思った。

続く(次回更新:11月10日火曜日)


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