カムイモシリ

カムイモシリ 第十一回

和田山 明彦 作(釧路管内標茶町在住)

 十二月十二日、山の神の日は朝から雪が降っていた。強い降雪の予報ではない。日本海側やオホーツク海に面した地域では、もう根雪になり始めている。しかし、この地域は、冬型の気象配置になると乾燥した空気に覆われてしまう。この程度の雪では、日に当たる所は、また解けてしまうだろう。

 釧路林業の柴田から頼まれたソフトはもう完成し、運用しているはずだ。敏子が扱えればそれでいいと思った。矢野から依頼されたプログラムも、急ぎ仕事ではない。しかし、今年の正月は、敏子と暮らすことになるかもしれない。いつもの正月は、パソコンに向かい、溜まった仕事を片付ける習慣になっていたが、今年はのんびりできるよう、パソコン作業を進めることにした。

 風も無く、ゆっくりと降りてくる雪のおかげで、静かな時間を過ごすことができた。キーボードの音と、薪ストーブの火が弾ける音だけがわずかに時間の推移を表わしていた。昼過ぎ、コーヒーを片手に、窓際に立ち、外を眺めていた。仕事部屋は東側に面しており、裏山のミズナラ林を見渡せる。そこには、エゾリスが住処を作り、今は丸くなり静かに休んでいるだろう。暖かい日には顔を出すのだが、雪が枝に積もると、その痕跡も分かるはずだ。

 また、パソコンに向かい始めると、車が近づく音がした。庄司が元気よく入って来た。

 「今日は休みだろう? 差し入れを持って来たぞ。家で育てていた牛を処理して肉にした。ステーキ用と、特製の窯でじっくり焼いたローストビーフだぞ」

 赤嶺がお礼を言う間も与えず、中に入り込んできた。一緒に食べるつもりは無いようだ。赤嶺はお礼を言って受け取った。冷凍庫にしまいに行くと、後ろから話しかけてきた。

 「今度の日曜日、鹿を撃ちに行かないか? 駆除のノルマということではないが、仕留めた数が足りなくてな。手伝ってくれよ」

 赤嶺は、今年はまだ猟に出ていないことを思い出した。休みは、敏子と過ごすことが増え、中々猟に出るチャンスが無かった。鹿は、赤嶺にとって貴重なタンパク源として保存する習慣になっていたが、初めて鹿を撃った時のめぐみの反応を思い出し、敏子には、猟に向かう姿を見せる勇気が湧かなかった。

 鹿を初めて仕留めたのは、塘路に移住した翌年のシーズンだった。めぐみに写真を送り、『猟師としてデビュー』とタイトルを付けたのだが、反応は冷たかった。なぜ殺さなければならないの? かわいそう。その肉を食べることできる? 捌(さば)くのは誰? 残酷だと思わないの? 散々だった。

 スーパーのトレイに載った肉は平気なのだが? 看護師という職業柄、血を見るのは平気だと思うのだが? 質の劣化防止のため、すぐに内蔵を処理すると言ったのが悪かったのか? 手術で見慣れていると思ったが、治療と処理は違うらしい。子供には、しばらく肉を食べれなかったと言われた。

 なぜ、鹿を撃つのか、理屈は通用しない。都会では、鹿は動物園でしか見ることができない可愛い動物なのだ。

 庄司はとにかく喋る。猟の返事はまだしてない。銃の話に移っている。

 「俺もブローニングに変えようかな。安物で我慢してたけど、ライフルは命中精度だよな。カミさんという大きな壁があるからなぁ。ちょっと、赤ちゃんのライフルを見せてやってくれよ。いや、逆効果だな。赤ちゃんの収入と比べられるのが目に見えてる。とにかく・・・」

 際限なく話が続く。赤嶺は無口だが、庄司の話を聞くのは苦痛ではない。やはり、庄司自身の人柄だろう。しかし、庄司も、息子が後を継ぎ、飼育頭数もかなり増えている。草地が足りないと、安住の畑も借り、離れた離農者の畑も手に入れていた。収入はかなり良いはずだ。しかし、隣の芝生は青いということか?

 また、車の音がした。聞き慣れた音だ。まずいと思った。敏子だ。庄司の餌食になる。仕方がない。紹介するしかないと諦めた。

 「こんにちは。あっ、お客さんでしたね」中に入ろうとしない。「あのぉ、お裾分けを・・・」

 庄司が透かさず言った。

 「俺はいいよ。遠慮せずに。用事は済んだから。どうぞ入って」

 敏子は、庄司の誘いで中に入った。庄司は隙を与えない。

 「今日の仕事は休みですか? 噂はかねがね聞いていますよ。赤ちゃんが勤めてる会社の人でしょ?」

 敏子は面食らっている。矢継ぎ早に質問が襲ってくる。赤嶺はうつむきながら苦笑するしかない。敏子は気丈にも庄司と向き合った。

 「林業会社ですから、今日は『山の神』の日で、午前中の神事の後はお休みです。昼食をお弁当で用意してますので、赤嶺さんの分を持ってきました。噂って何ですか? 変な噂ではないでしょうね?」

 笑顔で返事をした。

 赤嶺は噂の発信源の主は庄司自身だと確信していたが、あえて、口に出すことでもない。敏子は気にする素振りを示していない。和やかな場を演出することにした。

 「庄司さん、この方が新しく妻になるかもしれないと庄司さんが噂している人です。古関敏子さんと言います。敏子さん、こちらが例の噂高い庄司さんです」

 「おいおい! 俺も噂になっているのか?・・・」

 笑い声が、家の中に広まった。赤嶺の家に、これだけ笑い声が溢れた経験がない。庄司の人柄に感謝した。

 庄司は猟の話に戻った。赤嶺は、敏子が居る場で話していい話題かどうか戸惑っていたが、庄司にはその気遣いは無い。

 「今度の日曜日は、赤ちゃんを借りるぞ。鹿撃ちに行かなきゃならない。敏ちゃんの自由は許さないぞ」

 いつの間にか、敏ちゃんと呼ぶようになっている。あまりにも自然な会話の中の出来事で、赤嶺は最初、気付かなかった。敏子も気にしていない。自然に受け入れていた。

 和やかな雰囲気のせいではないだろう。赤嶺は、敏子の発言に拍子抜けた。

 「鹿撃ちに行くのですか? へえぇ、興味ありますね」

 庄司は調子を上げた。

 「そうか! じゃあ、一緒にどうだ? 山の中を足跡頼りに追いかけるのは、気持ちが集中して気持ちいいぞ。狩人はなぁ、その時に山と一体になるんだ」

 「でも、朝が早いんでしょ? 時間が合わないわ」

 「前の日、ここに泊まればいいだろう? こっちはお見通しだぞ」

 赤嶺は、話が脱線しそうでヒヤヒヤして聞いていた。敏子は、庄司の雰囲気に慣れてきたのか、平気に返事をした。

 「娘がおなかをすかせて待っています。私は母親ですよ。庄司さんこそ、奥さんにちゃんと言ってあるのですか? いきなり、お弁当を用意しなさいなんて駄目ですよ」

 小一時間ほどして、庄司が帰っていった。庄司は日曜日に迎えに来ると言い、安住にも声を掛けておくと言っていた。

 赤嶺は、静かになった家の窓から、外の景色を眺めていた。敏子は、コップなどを洗い、台所でごそごそと片付けしている。

 窓の外は、相変わらず、静かに雪が降りてくる。いつの間にか、キタキツネがうろついたのだろう、足跡が続いていた。匂いでも感じたのか、エゾリスの巣の下で立ち止まり、うろついたようだ。狐も厳しい冬を迎えるのかと思いを巡らしていると、いつの間にか、敏子が傍らに立っていた。

 「静かね。この部屋が、どこか違う世界に迷い込んだみたい」

 庄司が居なくなったせいだけではないだろう。昼前の静寂が戻った。しかし、今は、隣に敏子の鼓動と温もりがある。確かに、異次元の世界に迷い込んだような・・・。いや、そこにはキツネやエゾリスの生業(なりわい)がある。赤嶺と敏子、二人がカムイモシリの最も神聖な空間に招かれたような気がした。

 しばらく、二人して外を眺めていた。敏子が帰宅する頃には日が暮れる。現実に戻らなければ・・・。

 「帰りが遅くなります。奈美さんがおなかをすかせて帰ってきますよ」赤嶺が言った。

 「はい。料理はお弁当箱のままだと味気ないので、器に盛りつけておきました。後で召し上がってください。今日はとても楽しかったです」

 しばし、見つめ合い、身体の温もりを確かめ合うように抱きしめた。素直に自分の気持ちを行動に移すことの喜びをかみしめた。

 「今度の日曜日、気を付けて行ってらっしゃい」

 敏子は腕をすり抜け、笑顔で家を後にした。赤嶺は、敏子の抱擁の余韻を味わいながら敏子を見送った。

 肝心なことを確認するのを忘れてた。ソフトの使い勝手はどうなのか? 手直しの必要はないのか? カノジョのために、山の仕事を急がなければならなかった。会社に顔を出すことを後回しにしていた。確認をしてからでないと請求書を出せない。

 朝六時に庄司が迎えに来た。猟は日の出と共に始まる。庄司が選んだ場所は、牧草地の脇に広がる笹の茂る傾斜地だ。条件が良いため、安住も同行することになった。安住はもう八十才近くになるはずだ。足腰が鍛えられているとはいえ、もう、自由に山を駆け回ることはしない。しかも、一人で山に入ることを節子から禁じられていた。普段、山菜取りなどで山に出掛ける時も節子が同行するのだが、今回は庄司と赤嶺が一緒だ。安心して送り出してくれた。

 庄司の車は五人乗りの大きな四駆だ。ウィンチが前後に装着している。鹿を載せるための、折り畳み式の籠が後部に、電動のクレーンが屋根についている。ルーフキャリアにも鹿を載せることができるという。普段、釧路への買い物もこの車で出かけるらしい。厳(いか)つい四駆が、さらに厳つくなっている。人目を引いて、同乗するのに、慣れるまで恥ずかしい。

 目的地に着く前に安全な所に車を止め、照準の微調整をすることにした。本来は射撃場などでしなければならないが、近辺に、そんな洒落た施設は無い。

 庄司が愛用する銃は、古いレミントンのボルトアクションライフルだ。軽量で、山の中を担ぎながら歩き回るのに適している。昔、エスキモーの漁師がアザラシを狩っている写真を見て決めたそうだ。安住はブローニングBARだ。赤嶺は安住の勧めで同じ銃のMKⅢを持っている。照準調整は手入れが行き届いているので、すぐに終わった。

 目的地は塘路から三十分ほど離れた農家が点在する地域のはずれだ。鹿の食害が顕著な所だ。庄司は農家の許可を取っていた。裏の山は国有林なのだが、そこも、許可を取り、畑からの方角で照準を取ることにしている。安住は、早速かんじきを履いた。雪の中を這いつくばるので、それ相応の装備も必要だ。しばらく、雪に覆われた牧草地を歩いた。

 さすがの庄司も猟に入ると無口だ。静かに歩き、畑の脇にある排根線(はいこんせん)に身を置き、しばらく様子を見ることにした。風向きも、林からの風で風下に位置することができた。匂いで悟られることは無い。雪に残された鹿の足跡からは理想的な位置を確保した。鹿は雪が積もると、簡単に手に入る美味しい牧草を求めて畑の淵に現われる。雪の深さも理想的だ。

 一頭のオス鹿が現れた。群れが後ろに控えている。先頭から三頭を同時に狙うことにした。阿吽(あうん)の呼吸だ。首筋を狙う。タイミングを見はかり、今回の班長役である庄司が小声で合図することになっている。三人同時の射撃は、赤嶺には経験が無かった。いつも一人で猟をする。初めの頃は、安住や、時として、庄司が指導と称して同行した時もあったが、その時も、一人で射撃させられた。

 三頭が、同時に牧草地の雪を払い、雪に埋もれた草に夢中になる瞬間を狙うのは難しかった。鹿は警戒を怠らない。三人は雪の上でうつぶせになり、じっと動かずその時を待った。スコープの中だけを注視していたらだめだ。三人のタイミングを見計らうために、片方の目は、スコープで拡大された鹿の急所に集中し、もう片方の目で、全体の動きを確認する必要があった。

 今だと思った瞬間、庄司の合図が出た。赤嶺は庄司と同時に引き金を引いた。しかし、安住は撃たなかった。二頭が倒れた。

 「俺は駄目だったな。頭を動かした。苦しめることになったろう」安住は平然と言った。赤嶺は自分の弾が当たったことより、猟師として熟練した安住の判断力が嬉しかった。庄司も顔をほころばせて言った。

 「さすが、ヨイッサンだな。周りに動じない」

 処理は、ベテラン三人だ。あっと言う間に終わらせた。血が固まる前に処理を終わらせなければ肉に臭みが出る。猟師用のナイフは、丈夫でよく切れる。もちろん、日頃の手入れが肝心だ。庄司が言った。

 「もう一か所行くぞ。今度は、ヨイッサンの独り舞台だ」

 最初の猟は、思ったより早く済んだ。まだ、朝の時間帯だ。次の場所は三人がフィールドとしている塘路湖に近い林道の奥だ。林道の先に畑が広がっているのが見える。大根畑だ。周りに簡易のフェンスが設置している。よほど、鹿の食害に悩んでいるのだろう。

 畑の脇にある道路を進んだ。当然、除雪はしていない。慎重に、しかも、大胆に車を進めた。畑の端に着くと、積雪のおかげで獣道がくっきりと確認できた。車を降り、遮蔽物となる窪地に身を潜めた。そこは、林が途切れた笹の原野だった。移動に必ず通ると、庄司が目を付けている所だ。

 今日の狩猟は、待ち伏せに徹した。赤嶺は、足跡を追い鹿に迫る方法を常としていたが、安住には、年齢的に辛い方法だ。山と鹿の習性を知り尽くした庄司と安住は、この待ち伏せを今では得意としていた。経験のなせる業だ。

 今度は、一時間待っても現れない。待ち伏せは、一日待っても獲物と遭遇しない時がある。もう一時間待った。そろそろ昼になる。握り飯とお茶を取り出す。のりは巻いていない。塩おむすびに梅がわずかに入っているだけだ。お茶も、薄めの番茶だ。香りをできるだけ控えている。

 三人の内、一人は必ず見張りに徹した。いつ現れるか分からない。午後二時ごろ、風向きが変わって来た。場所を変えなければと思い始めたとき、現れた。オス鹿一頭だ。まだ若い。群れを形成できなかったのか? 赤嶺は、安住を見た。すでに照準器を覗いている。銃の構えは? さすがだ。無駄がない。

 赤嶺は、遮蔽物の奥に潜み、安住のタイミングの邪魔をしないことにした。銃口は少しずつ動いている。鹿は、ゆっくり歩いているのだろう。庄司も、安住を挟んで赤嶺の反対側から、身動きせずに銃口の動きを見ている。それにしても、安住はこの年齢でかまえがぶれない。思わず見惚れていると、銃口から火を噴いた。鹿は、一度、飛び跳ねて、そのまま動かなくなった。

 帰路に付くとき安住が言った。

 「俺も歳だな。そろそろ、猟友会の会長をお前に譲るよ。庄司、頼むよ」

 「俺も歳だぞ。といっても、順番ということか? いいぞ、猟期明けの総会で決めよう。でも、いいのかな? ここんところ、この町の猟友会会長は塘路地区で続くことになるぞ。他の地区から文句が出ないかな?」

 安住が言った。

 「確かに、鹿肉のブームで、若いのが増えてきたが、彼等は、まだライフルの資格まで達していないだろう? やはり、先頭で駆除を指揮するのは、経験とアイヌモシリを自覚した者に任せたい」

 ライフルを手にするには、散弾銃の経験年数が問題になる。散弾銃での経験が、射程距離の長いライフル取得の基本となる。ショットガンでも、射程を見極めたらクマさえも仕留めることができるし、獲物の種類で、弾の種類も選べる。鳥を狙うには、散弾を使用するのが基本だ。ライフルは、クマや鹿など、大型の獣を遠距離から急所を狙うのには有効だが、それだけ周りに対する注意力が必要になる。経験がものをいう世界なのだ。

 しかも、猟友会の会長は、時として、警察や役場からの窓口となり、駆除要請の最前線に立たなければならない。会員は、もちろん、住民からも慕われなければならない。人格と社交性が問われるのだ。

 安住は、長年郵便配達で地域住民から慕われていた。生粋のアイヌ人で、地域のエカシ(長老)としてこの地域になくてはならない人物だ。庄司も、大正時代から続く農家の跡取りとして、この地域では、一番成功した酪農家の一人だろう。農協の役職も数多く任されてきた。ただ、後に続く世代に、猟師は少ない。

 安住が言ったように、三十代や四十代の鉄砲撃ちは増えてきたが、マタンキクル(狩人)としての気質がある人物は少ない。   

 二人の話を聞いて、赤嶺は、いつか自分が引き受けなければならなくなる時期が来るのではと覚悟した。しかし、二人のように、人格が認められるのはまだまだ先の話だ。すべての面において経験が足りない。カムイモシリからでさえ、認められるまでにも達していない。それにも増して、人間の社会から一度エスケープしてきた人間が、人間社会から慕われるようになれるのだろうかと疑問を感じざるを得なかった。

 翌日、赤嶺は山の懐に戻っていた。不思議なもんで、自分が狙われていないと感じているのだろうか? 仕事の現場には、数多くの鹿の群れが現れた。キツネも餌を探して、雪の中に、盛んに鼻先を突っ込んでいる。赤嶺は、構わずに仕事を続けた。

 雪に埋もれた山には、カノジョの気配は感じられなくなった。穴の中に籠り、出産の準備に入ったのだろう。静かな世界が広がっている。時々、チェーンソーを使わなくてはならない時には、申し訳なさそうに、遠慮しながらエンジンをふかした。音に驚き、鹿が慌てて走り去っていく。できるだけ、チェーンソーの回数を少なくした。

 鉈に道具を変え、静かな世界を取り戻すと、また、鹿達が戻ってくる。その繰り返しから、自分が嫌われていないことを実感できて、顔がほころんだ。

 暖か日差しの日々が続いた。仕事がはかどり、雑木の林は、ほとんど、片付けることができた。もうじき、年末年始の休みに入るが、赤嶺は、正月を迎える行事には縁がなかった。しかし、松の内は、山の仕事を遠慮することにしている。

 世の中が静かな正月を迎えているのに、山からチェーンソーの音がしては興ざめだ。しかも、今回は塘路湖に連なる山だ。塘路湖は、ワカサギを釣る客でにぎわう。今年は暖冬のせいで、氷が薄く、まだ、解禁になってはいないのだが、例年通り、仕事を休むことにする。正月前に、カラマツの仕事に手を付けておこう。カノジョの寝床からは、山一つ隔てている。影響は無いはずだ。

 カラマツは、間伐など、まだ手付かずの状態だ。蔓が伸び、カラマツの幹を痛めている所もある。森林組合が頭を抱えるのも頷ける。

 数年前、ここの作業に入るルートを作成していた作業員がカノジョに襲われた。ちょうど、穴の上で作業をして襲われた。手順の関係で、上から進んで穴に気付くことができなかったのだろう。作業員は釧路市の人だった。地元でも、ヒグマの穴の情報は広がらない。不運な事故だった。カノジョの子供は穴から出され、保護された。カノジョは駆除の手を逃れ、今に至る。その翌年も、近くの山林で、山菜取りの人が襲われ、その時は怪我で済んだが、そのヒグマもカノジョだった可能性がある。

 カノジョは文明の世界に近付きすぎたのだろうか? 本来なら、真っ先に駆除の対象となるところだが、赤嶺は駆除の意識に踏み込めなかった。犠牲となった方々には申し訳ないが、カノジョに罪は無い。カノジョの存在を尊重して、カノジョが聖地としていることを広く告知しなかった人間にも、大きな過失があると思っている。安住も口には出さないが、同じ思いでいるはずだ。

続く(次回更新:11月17日火曜日)

関連記事