- 1946年(昭和21年)
-
- 釧路市北大通10で雑誌「月刊クシロ」を発刊
- 釧路市旭町54に移転。
- 「夕刊東北海道新聞」を発刊 タブロイド判2ページ
- 根室支局開設(工藤真一支局長以下2名)
- 1947年(昭和22年)
-
- マリノニー式輪転機、写真製版機など購入
- 株式会社設立。資本金150万円
- 1948年(昭和23年)
-
- 「北海道分県を語る座談会」開催
- 編集・営業・工務各部を局制に
- 1949年(昭和24年)
-
- 16ページ活版印刷機購入、タブロイド判から規格判に切り替え
- 日本新聞協会に甲種会員として入会
- 東京支社・札幌支社開設
- 輪転機印刷開始
- 1950年(昭和25年)
-
- 中標津支局新築・網走支局開設
- 北見支局開設
- プロ野球 (パ・リーグ公式戦 毎日対大映) 初の公式戦主催
- 1951年(昭和26年)
-
- 根室版新設
- 新活字採用 15段制
- 1952年(昭和27年)
-
- 旭町から黒金町10に本社移転
- 1953年(昭和28年)
-
- 「夕刊北海タイムス」と改称
- 1955年(昭和30年)
-
- 「釧路新聞」発刊 タブロイド判活版刷り
- 1956年(昭和31年)
-
- 日刊紙として発行開始 ブランケット判
- 1958年(昭和33年)
-
- 「釧新奨学賞」制定、二高校生に授与
- 1959年(昭和34年)
-
- 第1回「市民マラソン大会」を開催
- 第1回「新釧路川花火大会」を開催
- 1960年(昭和35年)
-
- オール4ページ体制となる
- 釧路新聞「社章」決まる
- 1961年(昭和36年)
-
- 第1回「釧新あさ野球大会」開幕(釧路市営球場)
- 1964年(昭和39年)
-
- オール8ページ体制となる。時事通信社と特約
- 1965年(昭和40年)
-
- 釧路市民人気投票行い「釧路十景」を選定
- 1966年(昭和41年)
-
- 札幌支局開設
- 1968年(昭和43年)
-
- 中標津支局開設
- 1969年(昭和44年)
-
- 黒金町新社屋(現在地)完成、白金町から移転。
- 1970年(昭和45年)
-
- 東京支社を開設
- 釧路新聞紙齢5000号に
- 根室支局(芦崎徹支局長)を開設
- 「東西対抗野球決勝大会」開催
- 1971年(昭和46年)
-
- 札幌支局を支社に昇格
- 1972年(昭和47年)
-
- 根室支局を支社に昇格
- 釧新郷土芸術振興基金を創設
- 第1回釧新郷土芸術賞を1団体2個人に贈呈
- 1975年(昭和50年)
-
- 「花の女王 ミス・チューリップ」選考・発表
- 「第1回町内会ソフトボール決勝大会」開催
- 1976年(昭和51年)
-
- 釧新奨学基金を創設
- 釧路管内小中校に「釧新教育活動賞」を贈呈
- 1978年(昭和53年)
-
- 活版印刷からオフセット印刷へ
- 「北海道こども博覧会」を西港用地で開催
- 1979年(昭和54年)
-
- 共栄支局を開設 ※1996(H08).03.31 閉鎖
- 1981年(昭和56年)
-
- 帯広支社開設
- 「東北海道新聞」発刊
- 1982年(昭和57年)
-
- 「財団法人釧新教育芸術振興基金」設立
- 1983年(昭和58年)
-
- 紙面本文13字制スタート
- 「北海道分県推進協議会」結成総会を開催 ※1994年(平成06年).05.31 活動収束
- 1984年(昭和59年)
-
- 中標津支局を支社(藤井浩明支社長)に昇格
- 1985年(昭和60年)
-
- ポーランドサーカス公演を釧路、帯広で開催
- 1990年(平成2年)
-
- 「第1回釧路地区職場グループ対抗将棋大会」開催
- 釧路新聞紙齢15,000号に達する
- 1991年(平成3年)
-
- 「ミス釧路」を選考・発表 ※「花の女王」と「ミススポーツ」を兼務する「ミス釧路」に
- 紙面本文12字制スタート
- 1994年(平成6年)
-
- 平川剛喜氏が代表取締役社長に、片山睦三氏が代表取締役会長に就任
- 1996年(平成8年)
-
- 「新釧路十景」を選定
- オフセット輪転機を導入(東機BHK-1000型、20P、2カ面カラー)
- 釧路新聞創刊50周年記念式典を開催
- 創設者で代表取締役会長の片山睦三氏が死去
- 1997年(平成9年)
-
- 「東北海道新聞」を休刊、帯広支社を閉鎖
- 標茶支局を開設
- 2001年(平成13年)
-
- 紙面本文11字制スタート
- 鉄北懇話会と橋南懇話会を合併、「釧新懇話会」を開催
- 新聞製作システム「たんちょうシステム」が稼働
- 2003年(平成15年)
-
- 春日井茂氏が代表取締役社長に、平川剛喜氏が代表取締役会氏に就任
- 2004年(平成16年)
-
- 中標津支局を支社に昇格
- 2005年(平成17年)
-
- 釧路新聞紙齢20,000号達成
- フリーペーパー「月刊えぷろん」創刊 ブランケット判8ページ
- オフセット輪転機を増設し、最大4カ面カラーの印刷体制を確立
- 2006年(平成18年)
-
- 釧新チラシセンターを設立
- 2007年(平成19年)
-
- 新聞制作システム「たんちょうⅡ」が稼働
- 2008年(平成20年)
-
- 紙面本文12段13文字制スタート
- 2010年(平成22年)
-
- 元代表取締役会長の平川剛喜氏が死去
- 2011年(平成23年)
-
- せんしんサービスを設立、ポスティング「せんしんSネット!」開始
- 釧路新聞の題字をカラーに変更(季節ごとに4色:黄緑・空色、橙、紺)
- フリーペーパー「Life(ライフ)」創刊
- 2014年(平成26年)
-
- 新聞製作システムを更新
- 2015年(平成27年)
-
- 代表取締役社長の春日井茂氏が死去
- 片山裕子氏が代表取締役社長に就任
- 2016年(平成28年)
-
- 釧路新聞創刊70周年記念式典を開催
- 星匠氏が代表取締役社長に、片山裕子氏が代表取締役会長に就任
- 2017年(平成29年)
-
- 一般社団 せんしんサポート設立
- 代表取締役会長の片山裕子氏が死去
- 2019年(平成31年)
-
- 釧路新聞紙齢25,000号達成
- 2020年(令和2年)
-
- 釧路新聞電子版スタート